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<回顧3.11証言>中学生、必死の介抱実る

宮城県PTA連合会から「善行・篤行児童生徒表彰」を受けた戸倉中の生徒たち=2011年11月12日、宮城県加美町の中新田バッハホール

 東日本大震災で南三陸消防署(宮城県南三陸町)の当直司令だった及川淳之助さん(57)は同署で津波にのまれ、志津川湾を約3時間、10キロも漂流し、南三陸町戸倉地区に漂着した。生死をさまよう及川さんの体を温め、救ったのは戸倉中の生徒たちだった。献身的な行為は地域に認められ、生徒たちは2011年11月12日、表彰を受けた。気仙沼・本吉広域行政事務組合消防本部では消防士10人が殉職。うち9人は及川さんと同様に、南三陸消防署とその周辺で活動中に津波にさらわれた。(高橋鉄男、吉田尚史)

◎宮城・南三陸町の消防署員、津波で10キロ漂流(下)

 「下で声がするぞ」
 3月11日午後6時半ごろ、戸倉中に隣接する時計部品製造会社。避難していた住民がうめき声に気付いた。
 倒れていたのは、南三陸消防署の及川淳之助さん(57)。住民らは社内に運び込み、畳敷きの部屋に寝かせた。
 「体は冷たく、低体温に近い。意識もはっきりしていなかった」。避難していた志津川公民館長の須藤清一さん(60)は振り返る。
 会社には戸倉中から避難した生徒約70人や教職員もいた。すぐ養護教諭らが服を脱がせ、マッサージを始めた。3年生だった後藤大地君(15)、2年だった佐藤裕君(15)、須藤翔也君(15)も介抱に加わった。

<「人間カイロ」>
 3人は着ていた制服を脱いで半袖短パン姿になった。及川さんを温めるため、挟み込むように2人がくっつき、残る1人が足をさすった。
 「人間カイロだ」と思った須藤君。佐藤君は「うわ言をつぶやいていたが、問いかけに弱い反応はあった。横にくっつきながら、必死に体をさすった」と語る。
 約1時間後、意識を取り戻した及川さんは、周囲の声が忘れられない。
 「ここで死んでられないんだからね!」
 懸命の救命活動は、海辺の学校ならではの備えも生きた。戸倉中は2年生を対象に、人工呼吸や心臓マッサージなどの救急救命講習を実施していた。沿岸部では、救命の場面にいつ遭うか分からないことを学んでいた。ことし2月の講習では、及川さん自身が講師を務め、救命の大切さを説いた。
 及川さんが救助される約3時間前。津波は標高約15メートルにある戸倉中にも押し寄せた。校庭にいた生徒、住民ら約200人は急いで校庭南側の崖をよじ登ったが、一部の人々が波にのまれた。
 2年生だった三浦貴裕君(15)はおぼれた男性に人工呼吸を始めた。喉の気道を開け、鼻をつまんで息を吹き込んだ。「夢中だったが、講習を覚えていた。助かってほしいという一心だった」
 おぼれた住民を引き上げていた佐藤裕君、同じく2年生の小野寺翔君(15)も加わり5分間、心臓マッサージと交互で続けた。

<5人善行表彰>
 救命活動に携わった戸倉中の5人は12日、宮城県加美町の中新田バッハホールであった県PTA連合会の復興会議で、「善行・篤行児童生徒表彰」の賞状を受け取った。
 現在、石巻工高に通う後藤大地君は「子どもだった自分たちも何かしなくては、という思いにかられた」と話す。
 及川さんは今、南三陸消防署の指揮隊長兼当直司令の任に就くが、地震があると動悸(どうき)がし、不安にかられることもある。
 「仲間を失ったショックが影響しているのかもしれない」。だからこそ、命を救ってくれた生徒に感謝しながら思う。
 「これからも、互いに助け合う心を大切に持ち続けてほしい」=2011年11月13日、河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年03月11日土曜日


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