岩手のニュース

<震災6年>やっと 飲食店の看板再び

市街地の造成を待つ阿部さん。津波で亡くなった人々やまちの記憶とともに、かさ上げ地で再出発する

 鳥から南蛮ソースや、だし巻き卵。人気メニューの味が忘れられず、心待ちにしている人がいる。「流されて終わりなんて悔しい」

◎阿部裕美さん=岩手県陸前高田市=

 岩手県陸前高田市の阿部裕美さん(49)は今秋、津波で壊滅した市街地に、夫昌浩さん(49)と再び和食店「味彩」の看板を掲げる。
 市内で暮らす父福田勝男さん=当時(65)=、母けい子さん=同(61)=を震災で亡くした。15年間続けた店も失い、残ったのは店のゴム印と焼酎瓶だけ。
 収入が絶たれた。長女の大学進学も重なった。街の復旧は見通せない。生活のため夫は北上市に移り居酒屋で働いた。後に北上で店を借りて仮営業を始めた。
 「古里を離れたくない」。阿部さんは陸前高田市に残り、臨時災害放送局に勤めた。散り散りになった市民の心をつなぐラジオの番組制作に没頭した。今は災害公営住宅に併設する市民交流プラザの常駐員で、入居者を温かく迎える。
 多くの命が奪われた市街地は更地になり、かさ上げして再生する。震災前の営みまでもが埋まり、置き去りにされる喪失感を抱く。
 「積み重ねた歴史があって今がある。それを未来につなぐ。亡くなった人と一緒に土の上に上がりたい」。お年寄りの昔語りの記録を仲間と始めたのも、そんな思いからだ。
 悔やんでいたことがある。陸前高田市の安置所で母のひつぎを確認できず、顔を合わせることなく荼毘(だび)に付された。昨秋、火葬された千葉県の斎場を訪れ、僧侶や住民が丁重に見送ってくれたと知り救われた。
 借金を背負っての再出発。人口は15%以上減った。「やっと」という思いと不安が交錯する。一度、地元を離れたことを受け入れてもらえるか。知り合いから「母ちゃんが頑張っていたべっちゃ」と励まされた。
 「魅力的な人が陸前高田にはたくさんいる」。震災後の多くの出会いで気付いた。まちづくりに積極的に関わっていこうと思う。もう、後悔はしたくない。


2017年03月11日土曜日


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