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<震災6年>大川小遺族 会って抱き締めたい

被災校舎周辺を歩く鈴木さん。真衣さんの亡きがらを見つけた現場付近に色鮮やかな花を手向けた=11日午前7時35分ごろ
鈴木真衣さん

 東日本大震災の発生時刻の午後2時46分。追悼のサイレンが響いた。あの日から6年。参列者が静かに手を合わせる。
 その瞬間、寒風が校舎を吹き抜けた。雲間から漏れた陽光が慰霊碑を照らす。
 児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市大川小校舎。11日に営まれた法要に石巻市の鈴木典行さん(52)もいた。大川小6年だった次女真衣さん=当時(12)=を亡くした。
 妻京子さん(50)と長女星奈(せな)さん(20)、三女澪(れい)さん(12)らと共に黙とうをささげた。「真衣が生きていたら18歳だよね。会いたいね。会って抱き締めたい」。目が涙でにじんだ。
 津波が学校を襲った2日後の2011年3月13日。鈴木さんは校舎西側の山沿いで、真衣さんを捜していた。軍手をして必死に土砂を掘る。小さな足が見えた。上靴のかかとの部分に名前が書いてあった。
 「真衣だ! 真衣!」。呼び掛けても返事はない。眼鏡を掛け、通学用ヘルメットをかぶったまま。眠っているかのような表情で、下唇をかみしめていた。
 身長約145センチ。その小さな体を鈴木さんは抱き上げた。自分の額を顔に当て大声で泣いた。山に登って助かっている−。そんないちるの望みが、絶たれた。
 鈴木さんは震災後、何度も被災校舎へ通った。各地から訪れる人々に大川小の出来事を語り伝えている。
 教室のロッカー、廊下の上着掛け。そこに児童一人一人の名前を記したシールが残っている。真衣がいる−。そっとなでながら、存在を確かめる。
 「真衣を見つけた場所で話をするのはつらい。でも、後世に伝え続けなくてはいけない。あの子たちの尊い命を多くの人の心や記憶に刻んでほしい」
 震災から巡ってきた7度目の春。星奈さんは上京し、社会人として独り立ちする。澪さんは小学校を卒業、中学校に進む。身長は150センチ台。たまに真衣さんそっくりの表情、声になる。
 形見に1通の手紙がある。題名は「20歳の真衣へ」。真衣さんが震災2日前の3月9日に記していた。
 <大川小はどうなってますか? これからも体に気をつけて、早死(に)すんなよ。クラスの人の人生はどうなっているかねぇ。これからも過去を大事にしてね。12歳の真衣より>
 何かを悟っていたかのような内容に鈴木さんは思う。人生の終わりが決まっていたのなら、変えることはできなかったのか。あの日が最後だと分かっていたら、抱き締めて決して離さなかっただろう。
 「星奈と澪には真衣の分まで幸せになってほしい。真衣。ママと星奈、澪を守ってください」
 早世した娘の七回忌に一人の父親として願う。


2017年03月12日日曜日


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