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<東北の本棚>駅制が中央集権支える

古代日本の情報戦略 近江俊秀 著

 いつの時代も情報支配は為政者の力に直結する。701年に大宝律令を制定した日本で中央集権体制を維持するには、都の命令を正確に地方に伝え、各地の出来事を迅速に把握する仕組みが欠かせなかった。科学技術が未発達な時代に活躍したのが「駅制」という緊急通信システム。本書はその運用実態を詳細にひもとく。
 774年7月25日、東北での支配拠点の一つだった桃生城(宮城県石巻市)を蝦夷側が攻撃した。陸奥国府(多賀城市)は駅制によって奈良の平城京に事態を急報、8月2日には都から諸国に援軍派遣が命じられた。多賀城と都の距離は約800キロあり、1日約100キロのスピードで情報が伝わったことになる。これと同様に謀反、大災害などの緊急性の高い情報は1日100〜150キロの速度で列島を駆け巡ったという。
 駅制は中国(唐)の制度を手本とした。情報を伝達する使者を「駅使(えきし)」と呼び、駅使が使う道路「駅路(えきろ)」には一定間隔で休憩・宿泊する「駅家(うまや)」を設置。それぞれに駅使が乗る「駅馬(えきば)」を置いた。律令には駅使の1日の移動距離、駅家の経営、駅路の維持、駅馬の飼育など、駅制を支える細やかな規定が定められていた。
 駅路は北は岩手県や秋田県、南は鹿児島県に至るまで総延長約6300キロに及んだ。都と各国府を最短距離で結ぶ直線で設計されており、最大で幅30メートルを超す道路もあったという。まさにいにしえの「ハイウエー」。情報戦略に血道を上げた古代国家の先見性とエネルギーが伝わってくる。
 著者は1966年石巻市生まれ。文化庁記念物課文化財調査官。日本古代史や交通史の研究を専門とする。
 朝日新聞出版03(5541)8790=1728円。


2017年03月12日日曜日


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