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<回顧3.11証言>住宅10軒 木っ端みじん

土砂崩れ後の福島県白河市葉ノ木平地区を上空から撮った写真。中央の山の斜面の土砂が崩れ、住宅をのみ込んだ=2011年3月14日(国土交通省提供)

 福島県には東日本大震災の津波被害と福島第1原発事故に隠れ、クローズアップされなかった災害が幾つかある。大震災当日に起きた白河市の土砂崩れはその一つで、13人もの死者を出している。7月の新潟・福島豪雨でも、奥会津地方が大水害に見舞われた。当時の関係者の証言を集め、「埋もれた災害」を再現した。(菅野俊太郎、勅使河原奨治)

◎白河・土砂崩れで13人犠牲

<「山が動いた」>
 福島県白河市葉ノ木平地区の飲食業渡辺敏勝さん(58)は2011年3月11日午後2時46分、激しい揺れに自宅を飛び出し、庭の植え込みをつかんだ。近くの電線は波を打ち、住宅のプロパンガスのボンベが次々に倒れた。
 揺れ始めから30〜40秒後、地鳴りのような重低音がとどろいた。自宅の約200メートル先で、山の杉の木がメトロノームの針のように左右に大きく揺れながら滑り落ちた。
 土砂が幅100メートル、高さ約40メートルにわたって崩落した。体積は約7万立方メートルに及ぶ。「バリバリ。バリバリ」。瞬く間に10軒の住宅を巻き込み、木っ端みじんに砕いた。
 土砂は住宅を挟んで反対側の山を約6メートルさかのぼって止まった。辺りは舞い上がった杉の花粉で煙が立ちこめたようにかすんでいた。

<生存絶望>
 発生直後から消防、警察、自衛隊、建設会社の関係者が24時間態勢で、土砂に埋まった家の住人を捜索した。住宅の柱は粉々。自動車も厚さ約30センチまでぺしゃんこになっていて、生存は絶望視された。
 遺体を傷つけないよう重機で土砂の表面を少しずつ削り取った。土砂は押し固められ、スコップで掘り返す手作業は難航した。
 発生2日後の13日、最初の遺体が見つかった。23歳と19歳の姉妹で、土の中で重なり合うようになっていた。その4日後には6歳の男の子と一つ下の妹が発見された。西郷村に住み、葉ノ木平地区の祖母の家に遊びに来ていた。捜索に当たった消防団員は「遺体の損傷が激しく、見るのがつらかった」と振り返る。
 13人目の遺体は3月23日に発見された。77歳の女性で、約1キロ離れた自宅から散歩に来て被害に遭ったという。
 葉ノ木平地区は里山に挟まれた谷間に位置する。福島県の調査で、崩れた山は、固い粘土層の上に火山灰層が載っていたことが判明した。1998年8月に県南地方で最大1200ミリの大雨が降った際も異常はなく、県の地滑り危険箇所の指定を受けていなかった。

<最大惨事>
 地震の強い揺れで、火山灰層が粘土層の上を滑り台を滑るように崩れ落ちた。県南建設事務所の小野保夫河川砂防課長は「激しい揺れが土砂崩れの原因とみられるが、同じような地質の場所が県内のどこに分布しているかは崩れるまで分からない」と言う。
 白河市の土砂崩れは大震災の土砂災害では最大の惨事だった。津波被害と原発事故が前面に出たことで、犠牲者の遺族は置き去りにされた感を抱いている。遺族の一人は「ここで大災害があったことを忘れてほしくない」と訴える。=2011年11月25日、河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年03月13日月曜日


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