宮城のニュース

<震災6年>3.11 かけがえのない記念日

ろうそくの火を消す雛咲ちゃん(右から2人目)と見守る家族=11日午後1時10分ごろ、名取市那智が丘4丁目の自宅
震災の翌朝、母子が集められた病院1階の部屋で雛咲ちゃんを抱く寛美さん=2011年3月12日午前10時ごろ、仙台市太白区西中田2丁目の病院

 6本のろうそくの炎は、息を吹きかけてから3度目にやっと消えた。「おめでとう」。11日午後1時すぎ、大きな拍手で祝福された佐藤雛咲(ひなき)ちゃん(6)=宮城県名取市那智が丘4丁目=が「どうもありがとう」とはにかんだ。

<不妊治療の末に>
 東日本大震災の発生から6年。2万2000人近い命が奪われた日に雛咲ちゃんは生まれた。亡き人をしのぶ遺族が大勢いる一方で、佐藤家にとっては小さな命の誕生を祝い、成長を喜ぶ大切な記念日だ。
 文彦さん(43)、寛美さん(40)夫婦にとって待望の第1子だった。子宝に恵まれず、不妊治療に4年を費やした。「体外受精以外は無理」。医師の宣告に絶望感を抱いたまま治療を中断した直後、妊娠が判明した。
 予定日の2011年3月11日午前2時、3498グラムの女児が産声を上げた。「ひな人形のように愛らしく、花のような笑顔を咲かせてほしい」。文彦さんは雛咲と名付けた。
 「外へ逃げて」。13時間後、経験したことがない大きな揺れを感じた。看護師に促され、3階から階段で避難した。強風に雪が舞う中、寛美さんは雛咲ちゃんを毛布で包み込んだ。
 ライフラインが途絶え、生後3日目に名取市の寛美さんの実家で避難生活が始まった。家族が手分けして飲料水や粉ミルクを調達した。紙おむつはサイズ違いでも買い求めた。

<一時は命の危機>
 1カ月健診を終えた4月13日、自宅に戻ると祖母(63)が異変に気付いた。「呼吸をしていない」。雛咲ちゃんの顔からみるみる血の気が引いていった。
 祖父(66)の運転で近くの小児科に駆け込んだ。心臓マッサージをしている間だけ、泣き声を上げた。救急車で仙台市立病院に運ばれ、一命を取り留めた。
 原因不明の無呼吸発作だった。口に呼吸器を着け、小さな体には点滴のチューブが数本つながっていた。突然の死の影に寛美さんは声を上げて泣いた。退院後しばらく、夜中に呼吸を確認することが習慣になった。
 「はい、パパどうぞ」
 くも膜下出血の後遺症で右半身にしびれが残る父のため、雛咲ちゃんが居間のドアを開けて待つ。弟晴文(はるき)ちゃん(3)とのけんかは絶えないが、父を気遣う姿に家族は成長を感じる。
 「たくさん人が亡くなったんだよね」「私の誕生日だよね」。東北に深い爪痕を残した日に生まれたことを少しずつ理解し始めている。
 文彦さんは「『3.11生まれ』を重荷に感じてほしくない。ゆっくり、時間をかけて向き合ってくれればいい」。寛美さんも「大切な記念日を祝い続けたい」と話す。
 雛咲ちゃんは4月から小学校に通う。背中より大きなピンク色のランドセルを揺らして…。(報道部・千葉淳一)


関連ページ: 宮城 社会

2017年03月14日火曜日


先頭に戻る