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<回顧3.11証言>悲痛な叫び 110番に殺到

宮城県警の震災後10日間の110番受理件数

 東日本大震災が発生した昨年3月11日、宮城県警には地震直後から110番が殺到した。当初は「信号が消えている」「水道管が破裂した」といったライフライン関連の通報が目立ったが、津波の襲来と同時に一変、救助を求める切実な訴えが受理台に集中した。テレビの映像や短文投稿サイト「ツイッター」の情報に基づき、他の都道府県警に寄せられた通報も多数転送され、回線は瞬く間にパンク状態となった。(末永智弘)

<命綱>
 「建物倒壊や救助要請の通報は、思ったほど多くないな」。地震から間もなく、通報内容を確認した阿部徹通信指令官(47)=現石巻署刑事官=は少し意外に感じていた。
 だが午後3時32分、気仙沼市の男性が「唐桑町浦宿の海岸に津波が迫っている」と伝えてきたのを機に通報内容は深刻さを増していく。県警が初めて受けた津波に関する110番だった。
 「津波で人が流されている」「首まで水に漬かった。助けて!」
 110番の14回線は悲痛な叫びに埋め尽くされた。通報者とやりとりできる受理台は7台しかない。全ての通報には応答しきれなくなった。
 普段は2〜3分で終わる通報者とのやりとりが長引いたことも、110番が滞留する要因となった。救助を求める通報者にとって、110番は「命綱」。なかなか通話を終えてもらえない。
 斎藤昌彦通信指令課長(54)=県警地域課長=は「『ほかの通報もあるので』と、こちらから切るわけにもいかない。焦りと心痛が募った」と語る。

<限界>
 全国の警察を結ぶ専用電話もひっきりなしに鳴った。110番は通報者の所在地を管轄する警察本部につながり、聞き取った内容が事案発生地の警察本部に転送される仕組みになっている。
 広大な被災地で通信が途絶した東日本大震災では、救助を求める被災者の存在をテレビの映像やメール、ツイッターで知った全国の人々がそれぞれに110番したため、その内容が各都道府県警から一斉に転送されてきたのだ。
 翌12日朝からは、遺体発見の通報が急増した。助けを求める110番も減らない。遺体発見の通報には「救助を優先しています。すぐには収容できないかもしれません」と伝え、理解を求めた。
 通信指令課は受理した内容を全て各担当に無線で指令したが、被災規模は明らかに県警の人員、機材、装備で対応できる範囲を超えていた。阿部指令官は「無理だと分かっていても指令は出さざるを得ない。現場に申し訳なかった」と振り返る。

<不急>
 県警が2010年に受けた110番は1日平均427件。震災後の受理件数はグラフの通りで、3月11日は1772件、翌12日には2323件に達した。約1週間は電話が鳴りやまなかった。
 安否確認や問い合わせも110番に相次いだ。県警は安否確認の専用ダイヤルを設置したが、全国から電話が殺到。つながりにくいことに、しびれを切らした人が110番したとみられる。
 通報が本当に急を要する内容なのか、問い合わせなのかは応答するまで分からない。斎藤課長は「問い合わせに対応している間に、受け損ねた緊急性の高い通報もあっただろう」と推測する。
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 1月10日は「110番の日」。宮城県警はスムーズな緊急通報の受理のため、問い合わせや相談の110番は控えてほしいと呼び掛けている。=2012年1月10日、河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年03月16日木曜日


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