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<震災6年>学び 家族守れる強い自分になる

授業に臨む船木さん=多賀城市の多賀城高

 東日本大震災の教訓を後世に伝えようと、宮城県多賀城市の多賀城高に災害科学科が新設されて4月で1年となる。同科1年の船木武郎さん(16)=仙台市青葉区=は小学4年の時に宮城県南三陸町で被災し、祖母を亡くした。高校で全国2例目の防災系専門学科に通い、「やりたいことが見えてきた。より強い自分になるため、多くのことを学びたい」と誓う。
 船木さんは南三陸町志津川十日町にあった自宅が震災の津波で全壊。自身は高台にある志津川小の校庭にいて無事だった。行方の分からない祖母=当時(68)=を母親(46)らと捜した。
 見慣れた風景はどこにもなかった。衣服が木の枝に引っ掛かり、砂ぼこりが舞う。海だけがきれいだった。仙台市に転居後の2011年4月、祖母の遺体が見つかった。
 転校した青葉区の小学校と中学校では学習支援や心のケアを受け、なじむことができた。それでも友人に別れを告げずに古里を離れたことで後悔の気持ちが残った。
 中学校であった震災の追悼式でふざける友人がいた。「やはり震災は人ごとなのか」。胸が苦しくなった。
 そんな中、多賀城高に通う姉から防災専門の学科ができると聞いた。「古里のために役に立てるかもしれない」。1期生を志した。
 今は母、姉と災害公営住宅に暮らし、片道1時間かけて通学する。陸上部の練習もあって体力的にきついが、大学や研究機関の外部講師による特別授業、塩釜市浦戸諸島での校外研修と専門知識を得る機会が多く、毎日が刺激的だ。
 防災と減災を学ぶうち、被災地で新しい仕事づくりやまちづくりに携わるプランナーのような仕事に興味を抱いた。音信不通だった古里の同級生とは中学時代の修学旅行先の東京都で偶然再会。また連絡を取り合うようになった。
 震災から6年が過ぎた。祖父が住む南三陸町に行くと、復興事業で大きく変わった町並みに戸惑う。古里への思いは強いが、心の傷がまだ癒えない。衝撃音を聞くと今も激しい動悸(どうき)に襲われる。
 災害科学科に進んでもうすぐ1年。心に決めたことがある。
 「大きな災害が起きたとき、家族を守れるように今より強い自分でありたい」


2017年03月17日金曜日


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