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<震災6年>気仙沼の復興屋台村 20日閉村

閉店が近づく中、客との語らいを大切にする畠山さん
仮設商店街「復興屋台村 気仙沼横丁」

 東日本大震災で店舗を失った店主らが集まる宮城県気仙沼市の仮設商店街「復興屋台村 気仙沼横丁」(15店)が20日に閉じる。市内の仮設商店街で最も早く、2011年11月に営業を始めた。被災地に復興の明かりをともし、住民やボランティアをもてなしてきた。店主は感謝と決意を胸に新たな一歩を踏み出す。
 「震災で何もかも見えなくなっていた時、この場をもらい仕事ができるありがたさをかみしめた」。三陸の幸が楽しめる居酒屋「男子厨房(ちゅうぼう) 海の家」代表の畠山仁義さん(60)は、気仙沼湾に面した屋台村の開業当時を振り返る。
 市内の景勝地・岩井崎で、結婚を機に妻の実家の民宿「吹上荘」を営んでいた。津波で全壊し、一緒に切り盛りした義父の一さん(83)、義母のこぎくさん(81)、義妹の幸子さん(50)=いずれも年齢は当時=を失った。畠山さんは消防団員として捜索や遺体収容に駆け回った。
 市内外の事業者が計画していた屋台村構想の誘いを受け、苦しみの中で前に進もうと決心した。民宿と自宅を失った仲間2人と共同で居酒屋を設け、畠山さんは初代村長に就いた。
 民宿を営んでいたとはいえ、学ぶことは多かった。屋台村の成功例として知られる八戸市の「みろく横丁」で研修し、畠山さんは現地の郷土料理「貝焼き」を看板メニューにした。わずか6坪(約20平方メートル)、13席の店内は「客との距離感が近く、対面商売の魅力も難しさも学ばせてもらった」と感謝する。
 復興支援ムードは年々薄れ、来店者も当初の約3分の1ほどという。それでも県内外から大勢の客が訪れ「被災地の貴重な観光資源になった」というのが5年4カ月間の実感だ。
 物件不足で、出店者のうち3分の2は閉店後の行き先が決まらない。畠山さんの仲間2人は既に自立し、自身は近くの複合ビルで11月にも居酒屋を再開させる。
 「屋台村を街に存続させたかった。多くの人が支えてくれた大切な場所だったから」。店の丸いすや建具は新店舗に移し、屋台村の雰囲気を再現するつもりだ。屋台村へのせめてもの恩返しだと思っている。

[メモ]「復興屋台村 気仙沼横丁」は気仙沼市南町4丁目の土地区画整理事業区域にあり、土地のかさ上げのため3月中の退去が決まった。18日午前11時から閉村式があり、300個の風船を飛ばすほか、同市出身のシンガー・ソングライター熊谷育美さんらによるミニコンサートがある。


2017年03月17日金曜日


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