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<回顧3.11証言>現場の声、刻々伝える

震災直後、タクシー無線を使って情報を伝達したことを振り返る武山団長(右)とタクシー運転手の佐藤さん=宮城県気仙沼市赤岩五駄鱈の気仙沼・本吉広域防災センター

 通信手段が途絶えた東日本大震災の直後、宮城県気仙沼市の消防団が情報伝達に使ったのは、地元のタクシー会社「ししおり・きはんせんタクシー」の営業車の無線だった。事前の協定はなく、被災したタクシー会社が自発的に協力を申し出た。携帯電話や固定電話が通じない中、市災害対策本部に団員らから刻々と現場の貴重な情報が届く無線の効果は大きかった。(田柳暁)

◎気仙沼・消防団支えたタクシー無線

<貴重>
 震災から2日後の昨年3月13日。被災地では、携帯電話の通信規制や停電による基地局の機能停止が続き、通信手段の確保が大きな課題だった。
 そんな中、気仙沼市災害対策本部には、タクシーの無線からさまざまな情報が飛び込んできた。
 「赤岩港のドラッグストア前で遺体を見つけた。収容をお願いしたい」(午前9時46分)
 「新城小にはもう遺体を安置できる場所がない。別の場所を確保できないか」(午前11時9分)
 「ひつぎに入れるドライアイスが足らない。至急、手配してほしい」(午後2時50分)
 タクシー会社が、避難所や遺体安置所など市内6カ所に営業車を配置。消防団員や市職員から現場の状況を受けた6台の運転手は無線で、市災害対策本部がある気仙沼・本吉広域防災センターに止めていた「親機」のタクシーに伝えていた。
 情報は連絡係の消防団員から消防団本部分団長の小山文子さん(63)=同市赤岩牧沢=へ届けられ、小山さんがメモにして災害対策本部に渡した。「電話が通じず、情報が入らないもどかしさでいっぱいだった。無線からの情報は本当に貴重だった」と小山さん。

<協力>
 タクシー会社が協力を申し出たのは、震災翌日の12日。同社の運転手佐藤陽平さん(64)=同市九条=は被災者でごった返す避難所を目にして思った。
 「テレビも見られず、携帯電話もつながらない。無事だったタクシーの無線で情報伝達ができないものか」
 同市南町にあった本社は津波で全壊。しかし、タクシー無線のデジタル化が進む中、同社はアナログのままだった。デジタルは基地局が被害を受けると使えなくなるが、アナログではタクシー間の交信ができた。
 当時、会社幹部とは連絡が取れず、佐藤さんは配車担当の運行部長小野寺久義さん(60)=同市赤岩五駄鱈=の自宅を訪ね、直接掛け合った。
 「当面は営業できない。消防団員でもある乗務員もいるし、全面的に協力しよう。責任は俺が取る」。小野寺さんはすぐに了承した。
 市消防団の車両にある無線機は受信専用。現場の情報を消防本部やほかの団員に伝えることはできない。タクシー無線による情報伝達は、主要道路の通行が可能になった3月15日まで続いた。
 同社の後藤和夫常務(37)は「配車を目的としたタクシー無線本来の使用ではなかったが、緊急事態の中、手探りでの協力だった」と振り返る。

<必要>
 総務省消防庁が岩手、宮城、福島3県の団員を対象に実施したアンケートでは、配備の必要性を感じた資機材のトップは情報伝達手段だった。6割は具体的な資機材として無線やトランシーバーを挙げた。
 今回の震災を受けて消防庁が設置した「消防団活動のあり方等に関する検討会」の委員を務める気仙沼市消防団の武山文英団長(63)は「情報伝達手段の確保は、全ての消防団が直面する課題。国として検討するよう問題提起したい」と話している。=2012年1月13日、河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年03月17日金曜日


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