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大震災翌日誕生 6歳の歩み力強く前へ

歩行器を使い卒園証書を受け取りに進む内海堅靖君(手前)。母理英子さん(左奥)が立ち上がって見守る=18日午前10時20分ごろ、宮城県利府町の青山すぎのこ保育園

 東日本大震災翌日の2011年3月12日に生まれた宮城県利府町菅谷の内海堅靖(うちみけんじょう)君(6)が18日、町内の保育園を卒業した。ライフラインが途絶える中でのお産で一時仮死状態になったが、医師らの懸命の努力で命をつないだ。後遺症で脳性まひなどがあるが、保育園や町などのバックアップを受けて、2年間通園した。友だちに囲まれて心身ともに大きく成長し、4月からは小学校に進む。

 堅靖君は、坂本康子園長から緊張した面持ちで卒園証書を受けると、「パパのようなパパになりたい」と誓った。毎日送り迎えをした父の貴史さん(43)の瞳が潤んだ。
 3月11日夜、震災の影響か、母理英子さん(42)は予定日より10日早く産気づいた。到着した町内の病院は停電と断水が続いており、難産に悪条件が重なった。12日午前に帝王切開で誕生したが、一時危険な状態になり、保育器の代わりに、病院職員が堅靖君を懐に入れて温めた。緊急出産の連絡は町役場にも入り、町職員が出産に必要な水を病院に届けるため奔走した。
 「厳しい環境で、医療現場の皆さんには最大限のことをしてもらった」と貴史さん。堅靖君は、脳性まひとウエスト症候群と診断された。震災発生直後の混乱の中で助かった命。「亡くなった人の分も力強く生きてほしい」。家族は強い願いを、3人きょうだいの末っ子の名前に込めた。
 3歳になると、通っていた障害者の発達支援施設から「保育所に通い、小学校を目指しましょう」と提案があり、青山すぎのこ保育園への入園が決まった。
 園で堅靖君が最初に覚えた言葉は、周囲の寄り添う気持ちが伝わったのか、「ありがとう」だった。入園時は歩けなかったが、歩行器を使えるようになった。発する言葉の数も増え、友だちと仲良く遊ぶことが増えていった。手洗いなど堅靖君が一人でできない場面では仲間が手を差し伸べ、周囲で人を思いやる気持ちが育まれていった。
 家業は温泉旅館。家族の働く姿をまねし、フロントで「いらっしゃいませ」と声を出しお客を出迎えることもある。「本人にできないことはあるが、そのうちできると信じている。とにかく前向きで明るいから」と理英子さんは目を細める。
 誕生直後から見守ってきた町子育て支援課の桜井やえ子課長は「出産時に十分な支援ができず、私たちも悔しい思いをした。堅靖君を支えることで、町全体の障害児保育への理解が進んだ」と卒園に感慨深げだ。
 堅靖君が4月から通うのは利府小の特別支援学級。「すうじのべんきょうがたのしみ」。新たな目標に向けた一歩が始まる。


2017年03月19日日曜日


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