宮城のニュース

岡崎トミ子氏死去、党派超えて惜しむ声

鳩山由紀夫氏(左から2人目)、菅直人氏(同3人目)ら旧民主党の結成メンバーと握手を交わす岡崎さん(左端)=1996年9月11日、衆院第1議員会館
4選を期した参院選で、第一声を上げる岡崎さん。新人に競り負け、守り続けた議席を失った=2013年7月4日、仙台市青葉区

 「民主王国・宮城」を築いたシンボルとして、長く県政界で存在感を発揮した岡崎トミ子さん(73)の死去に、政党関係者らは一時代の終わりをかみしめた。気さくな人柄は党派を超えて愛された。交友のあった県議や市議らは、突然の別れを悼んだ。

 「政権交代という政治家人生で忘れられない時代を共に過ごした」と感傷に浸るのは、民進党の木村勝好仙台市議。「多様な意見を取り入れるリーダーシップの持ち主。寄り合い所帯の旧民主党をまとめてくれた」と功績をたたえた。
 元衆院議員で、国会でも一緒に活動した同党の鎌田さゆり県議は「政治家を『先生』と呼ぶのを嫌い、市民に寄り添う姿勢を教えてくれた先輩。女性の政治参画を進めた太陽のような存在だった」と語った。
 岡崎さんは1990年、旧社会党から国政に一歩を踏み出した。同じ党で交友があった仙台市議の辻隆一社民党県連幹事長は「国会議員になる前から労組の勉強会などで顔を合わせ、人権問題や平和運動に熱心だった。人との接し方がうまく、全方位外交ができる人だった」と肩を落とした。
 各地の「岡トミファン」は20年を超える政治家活動を支えた。ぶ厚い支持層は、しのぎを削った自民党にとって脅威でもあった。
 同党の愛知治郎参院議員(宮城選挙区)は2001、07、13年の参院選で3度戦い、01と07年は後塵(こうじん)を拝した。愛知氏は「立場や考え方は違うが、国や地元のために一緒に仕事をしてきた仲間として非常に残念。いつも明るい笑顔が印象的だった」と振り返った。


関連ページ: 宮城 社会

2017年03月20日月曜日


先頭に戻る