宮城のニュース

<りんごラジオ6年>1万人出演 人つなぐ

震災6周年を前にした特別番組でインタビューをする高橋さん(左)と妻の真理子さん

 東日本大震災発生の10日後に開局した宮城県山元町の臨時災害FM局「りんごラジオ」が、今月末で閉局する。町の被災状況や生活情報を発信した当初から一貫しているのは、より多くの住民の声を伝えるという姿勢だった。復興に向かう町民の息遣いを伝え続けた6年を振り返る。(亘理支局・安達孝太郎)

◎災害FM いつもそばに(上)共に歩む

<思いを語る>
 3月10日、りんごラジオは震災から6年を前にした特別番組を放送した。山元町で津波に遭い、行方不明になった大久保真希さん=当時(27)=の父三夫さん(64)と母恵子さん(59)がスタジオを訪れ、娘への思いを語った。
 聞き手は局長の高橋厚さん(74)と妻の真理子さん(67)。「私たちにこういう娘がいたことを伝える機会をいただいて感謝しています」。番組の終盤、恵子さんが静かに語った。
 生放送が終わるとスタジオの電話が鳴り、受話器を渡された恵子さんが目頭を押さえた。「ありがとう。また、そっちに住みたい」
 電話は、知人の主婦作間京子さん(68)からだった。今は亘理町に住む大久保さん夫婦が震災時に住んでいた山元町で近所だった。
 「放送中、涙が止まらなかった。恵子さんとどうしてもお話ししたくなった」。作間さんは、自身も趣味の民謡を話題にりんごラジオに出演したことがある。「人と人をつないでくれるとても身近なラジオだった」と言う。
 スタジオには、復興支援団体や仮設住宅などで活動するサークルのメンバーらが連日訪れた。6年間で出演した人は延べ1万人以上。「いい町にはたくさんの声がある」。そんな信念を持つ高橋さんはスタジオの外でもマイクを向け続けた。

<ありのまま>
 人気番組の一つに2011年6月から1年ほど続いた「お早うさん」があった。高橋さんが早朝のバス停や仮設住宅で出会った人たちにその場でインタビューをし、編集をせずにありのままの声を放送した。
 仮設住宅の自治会長だった鈴木敬一さん(75)が振り返る。「何を話していいのか分からずに最初は逃げていたけれど、話をすると不思議と前向きになれた」
 高橋さんは東北放送の元アナウンサー。脂の乗った30代で手掛けたラジオ番組が、地域情報をふんだんに盛り込んだ朝の生放送「モーニングワイドおはよう!」や、夜の「ヤングミュージックナイト」だった。
 ミュージックナイトは中学生に大人気で、高橋さんはリクエストはがきで親しみを込めて「アッチャマン」と呼ばれていた。
 定年後は里山暮らしに憧れて仙台市から山元町に移住した高橋さん。地方局アナウンサーとしてリスナーのすぐそばにいたことが、小さな町のラジオの性格を決定付けたのかもしれない。

[りんごラジオ]2011年3月21日、災害時に被害状況や避難所の情報などを提供する公設民営の臨時災害FM局として宮城県山元町が役場内に開設。同年7月に役場敷地内のプレハブに移った。スタッフは11人。年間運営費約1500万円は国の交付金が充てられた。町は復興が一定程度進んだとして、閉局を決めた。コミュニティー放送への移行が検討されたこともあったが、りんごラジオ側が事業費確保が難しいとして辞退した。


2017年03月27日月曜日


先頭に戻る