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<りんごラジオ6年>交流と絆 これからも

震災犠牲者を追悼する放送を前に打ち合わせをするスタッフ=2017年3月11日、宮城県山元町のりんごラジオ

 東日本大震災発生の10日後に開局した宮城県山元町の臨時災害FM局「りんごラジオ」が、今月末で閉局する。町の被災状況や生活情報を発信した当初から一貫しているのは、より多くの住民の声を伝えるという姿勢だった。復興に向かう町民の息遣いを伝え続けた6年を振り返る。(亘理支局・安達孝太郎)

◎災害FM いつもそばに(下)広がる思い

<人生の重み>
 東日本大震災から6年を迎えた3月11日、りんごラジオのスタッフ伊藤若奈さん(37)=宮城県山元町出身=らが、町内の犠牲者の氏名と年齢を放送で読み上げた。
 「…42歳、…69歳、…0歳、…5歳」
 読み上げるたび、亡くなった一人一人の人生の重みを感じ、伊藤さんは涙を流してマイクに向かった。
 伊藤さんは、りんごラジオの放送開始3日後の2011年3月24日からボランティアで手伝い、その後スタッフになった。米国留学を終え、就職活動に取り掛かろうとしていた時に古里で震災に遭った。
 伊藤さんには忘れられない取材がある。13年1月、家族の事情などさまざまな理由で町内を離れた町民が仙台市太白区に集った。自己紹介で、「町に戻りたい」と大粒の涙を流した人がいた。
 「住民の町への強い思いを伝えないといけないと思った。あの取材がスタッフを6年続けた原点」と言う。
  力合わせて
 りんごラジオに関わる人たちの思いは、県外にも広がっている。
 福岡市の中学校で国語の教員をしている岡優作さん(37)は昨春、届いたばかりの教科書を手にして心を揺さぶられた。
 りんごラジオの高橋厚局長(74)の手記が掲載され、通常のラジオ放送にはない光景が描かれていた。高橋さんが生放送中に町民と一緒に泣き、放送を中断して音楽をかけることが何度となくあったことがつづられていた。
 岡さんは震災時に消防士で、福岡県の緊急消防援助隊員として山元町に派遣された。現地で最も印象に残ったのが、山下中でボランティアをする生徒たちの姿だった。
 福岡に戻った岡さんは、被災地で助け合っていた住民の姿を地元の子どもたちに伝えようと教員になる決意をした。
 16年11月、岡さんは自分の経験を伝えながら、高橋さんの手記を使った授業を行った。「人を助けるのは人の思い。高橋さんの体験は、そのことを伝えてくれている」。こう語る岡さんは、生徒たちの感想文を送るなどして、りんごラジオと交流を続けている。
 開局6周年の3月21日、町と角田市の境にある標高287メートルの深山(しんざん)山頂。震災後に設置された鎮魂の鐘の前に、高橋さんと妻真理子さん(67)の姿があった。
 高橋さんは2年前に脳内出血で入院し、言葉を出しづらい後遺症がある。それでも、高橋さんが倒れてから局長代行として奮闘してきた真理子さんのそばで、「みんなで力を合わせていきましょう」と力強く中継した。
 りんごラジオは3月31日午後6時に放送を終える。
 「いつもそばに」。周波数80.7メガヘルツの電波も間もなく止まるが、震災でたくさんの人たちとつながった高橋さんたちの思いは、これからも広がり続ける。

[りんごラジオ]2011年3月21日、災害時に被害状況や避難所の情報などを提供する公設民営の臨時災害FM局として宮城県山元町が役場内に開設。同年7月に役場敷地内のプレハブに移った。スタッフは11人。年間運営費約1500万円は国の交付金が充てられた。町は復興が一定程度進んだとして、閉局を決めた。コミュニティー放送への移行が検討されたこともあったが、りんごラジオ側が事業費確保が難しいとして辞退した。


2017年03月29日水曜日


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