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<仙台いやすこ歩き>(58)ほそやのサンド/ガブリ肉の味しっかり

 巡ってきた若葉の季節は、杜の都を映画のワンシーンのように見せてくれる。と、隣で画伯が「小学校の時、おじさんがお土産に持ってきてくれた、初めてのハンバーガー、ハイカラだったのよね」。う〜ん、そういえば、わたしが初めてコーラを飲んだのも小学生の時、三居沢の動物園でのことだっけ。
 そんな話をしながら、いやすこが足を向けたのは国分町虎屋横丁。あのハンバーガー屋さんだ。街並みがめまぐるしく変わる中、点々とある昔なじみの店の一つが「ほそやのサンド」。ドアを開ければ懐かしく穏やかな空気が漂う中、カウンター越しに細谷正弘チーフ(64)がにこやかに迎えてくれた。
 「創業は1950年で、父が山形の東根市で店を開いたのが始まりです」。山形・村山市出身のお父さまは特攻隊から帰ってきて、東根市にあった進駐軍の下士官クラブのマネジャーを務めていたそうだ。そこには、レストラン部局もあり、洋食の聖地ともいえる東京・上野精養軒の武田シェフが入ってきたことで、ハンバーガーに出合ったという。
 映画を見て英語を覚えたというお父さん。「当時の人は苦労したでしょうね。父は初めてハンバーガーを食べて『こんなうまいものをアメリカ軍は食べてたんだ』とびっくりしたそうですよ」
 仙台への出店は53年。苦竹店、そして国分町店と3店舗を展開していた時もあった。「初めのころは、国分町の旦那衆が『ハンドバッグ、けらいん』と入ってきたこともありましたが、今も旦那衆は常連さんです」とにっこり。かつて、立町の角に東劇があった頃は、アメリカ映画を見た帰りに寄る人も多かった、という話にうなずく2人。「第三の男」等で知られる文豪グレアム・グリーンが来店したこともあるそう! お客さんは80代の常連さんから、ネット情報で来店する若い人までさまざまだ。今日もそんな人たちが、思い思いのおいしい時間をゆっくり楽しんでいる。なんせ、日本一歴史のあるハンバーガー屋さんだから。
 ここで、いやすこ、待ちに待った注文。「ハンバーガーとコーヒー」「わたしはコーラで」と言うと、細谷さんが今朝作ったパテを焼き始める。その隣で、4月に店に入った息子さんがコーヒーを入れる。「どうぞ」の言葉と同時に、ほわほわのバンズに挟まれた、じゅーじゅーあつあつのハンバーガーをガブリ。「あ〜子どもの時と同じだぁ」と画伯は感激ひとしお。ハンバーグ自体のおいしさがしっかり伝わってくる。それ以外、挟まれているのはスライスオニオンのみ。本物はあくまでシンプルなのだ。肉は国産牛100%、バンズもパン屋さんでオリジナルレシピで作ってもらっている。この味、きっと、本場アメリカの人だって驚くに違いない、と思う。
 細谷さんが準備するパテは平日で40〜60個、土・日で80個ほど。売り切れて、午後早く閉めることもあるそう。大満足のいやすこだが、もちろん、「テークアウト、お願いします」は外せない。
 今日は帰って、あの懐かしいアメリカ映画を見よう。

◎おぼえがき/現存する日本最古の老舗

 ハンバーガーの祖先に関する最も古い記述は、18世紀のイギリスの料理本「簡単でわかりやすい料理術」に登場する。要約すると、牛肉等を細かく刻み味付けしたものを腸詰めして乾燥させ、それをトーストに載せて焼いたりして食べるというものだった。
 19世紀に入ると、味付けが玉ねぎと少量のナツメグになり、ハンバーグ(ハンブルグ風)ステーキの名が登場する。ヨーロッパからアメリカに伝わり、都市生活者を中心に愛されたハンバーグステーキ。これが、初期はパンに挟まれ、やがてバンズの登場で現在のようなハンバーガーになるのだが、その誕生には、セントルイス万国博覧会(1904年)で発明された等、諸説ある。
 日本へは終戦後に入ってきて、ハンバーガー店が乱立した。最も古いとされた48年創業の六本木バーガーが閉店となり、「ほそやのサンド」が現存する日本最古の老舗ハンバーガー店となっている。(参考資料/「ハンバーガーの世紀」ジョシュ・オザースキー著、市川恵理訳=河出書房新社)
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 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2017年05月22日月曜日


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