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<気仙沼大島>待望の医院再開 受診次々と

島内の患者を診療する森田医師

 気仙沼市の離島・大島で唯一の医療機関「大島医院」に、同市出身の医師森田良平さん(52)が1日、着任した。3月末に前任者が退任し、医師不在が続いていた。待ちわびた多くの島民が早速、受診に訪れた。
 午前8時半の開業を前に、大島地区振興協議会や市から森田さんに花束が渡された。森田さんがあいさつすると、患者らから大きな拍手が起きた。
 左脚の痛みを診てもらった農業熊谷美江さん(77)は「本土まで行かずに、いつでも治療してもらえる医療機関がそばにあるのは安心だ」と歓迎した。
 森田さんは独協医科大卒業後、民間病院の救命救急センターや千葉県内の民間病院に勤務。診療科目は内科と整形外科で、大島小、大島中の学校医も務める。
 市は昨年12月、大島と本土をつなぐ気仙沼大島大橋が完成する2019年春までは勤務する条件で医師を公募。最初に応募した森田さんに決まった。市は建物や医療機器を無償貸与する。3月末現在の大島の人口は2587。

◎震災での後悔 行動後押し

 「震災直後は気仙沼のために行動を起こすことができなかった。医者人生の最後は地元の役に立ちたい」。東日本大震災で被災した古里に戻り、働くことができる喜びをかみしめる。
 勤務先の千葉県の病院で被災。テレビに映し出される津波と火の海に包まれた気仙沼の姿に言葉を失った。医師として被災者を救いたいとの気持ちはあったが、「『行かなければ』と思いながら、変わり果てた古里を見るのが怖かった」。気持ちの整理がつき、地元に初めて戻ったのは震災から1年後のことだ。
 兄が跡を継いだ実家は市内で210年以上も続く開業医。津波で1階は被災した。病院に戻るたび、「もっと早く被災地の手伝いをするべきだった」と後悔の念が募り、同時に地元への思いが強まった。昨年12月、医師として気仙沼に戻る意向を市に伝えると、大島医院の公募の話を持ち掛けられた。
 東京の公団住宅で家族4人暮らし。妻典子さん(50)は「一緒にいてほしい」と反対したが、意思は固かった。次第に家族の理解は深まり、医師を目指す長女の真理さん(18)は「パパの思うように行動した方がいい」と強く背中を押してくれた。
 島の高齢化率は、市全体を12ポイント上回る47.9%。島民から歓迎の言葉を掛けられるたび、責任の重さを感じる。「実際に暮らしてみて、離島は想像以上に不便だと実感した。島民の医療に対する不安は大きい」と引き締める。
 「頑張ってください」。1日朝、東京の典子さんから励ましの電話をもらい、自宅に隣接する新たな職場に向かった。「島のみんなが安心して通える病院をつくる」と決意を語った。


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2017年06月02日金曜日


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