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<則本新記録>平成生まれのドクターK 原点は

8回に7試合連続2桁奪三振を達成し、マウンドを降りながらファンの声援に手を振って応える東北楽天の先発・則本投手。右は銀次選手
プロ野球新記録を樹立した東北楽天の則本投手に、「K」と記されたボードを掲げてスタンドから声援を送るファン

 7試合連続2桁奪三振のプロ野球新記録を樹立した東北楽天のエース則本昂大投手(26)。1日に仙台市宮城野区のKoboパーク宮城(コボパ宮城)であった巨人との交流戦で8回12奪三振の力投を見せた。日米で活躍した大投手野茂英雄さんを超えた瞬間、球場ではファンの歓声と拍手が地鳴りのように響き渡った。前人未到の快挙を成し遂げた平成生まれの「ドクターK(三振)」。その原点はどこにあるのか。

 「当時は投手としてすごみはなかった」。滋賀・八幡商高で監督として指導した池川準人さん(45)は振り返る。1年秋からエース格だったが速球は130キロ前半。体格は174センチ、68キロ程度で大きくはなかった。
 高校3年夏の滋賀大会は準決勝敗退。3回戦で打球を右手親指に受け、その後の試合は登板できないまま、最後の夏を終えた。
 ただ、野球への姿勢は強い印象を残した。「雑誌でプロの投手の分解写真を見て研究するなど向上心はずばぬけていた。本人はプロを目指していたと思う」。池川さんは次のステージに懸ける思いを感じ取った。
 強豪校からの誘いはほとんどなく、一般入試で三重中京大(2013年閉校)に入学。監督だった中村好治さん(63)=現三重高監督=は「食べ放題のお好み焼き屋に連れて行っても遠慮するようなおとなしい性格。でもユニホームを着るとガラッと変わり、よく練習していた」と懐かしむ。
 練習後は5キロを日課のように走った。下半身を重点的に鍛え、1年冬には球速は150キロに上がった。一躍、その名を全国にとどろかせたのが最終学年の6月に迎えた全日本大学選手権。大阪体育大戦で延長10回で20三振を奪い、プロへの扉をたたいた。「この頃には体の軸を意識して投げるフォームが完成形に近づいた」と中村さんはみる。
 2013年にパ・リーグ新人王、14年から3年連続で最多奪三振のタイトルを獲得。そして今回、また一つ大きな勲章を手にした。
 雨交じりの中で集まった観客約2万5000人は「K」と記されたボードを掲げるなどして三振を熱望。則本投手は最後まで腕を振り抜き、その期待に応えた。
 中村さんは「奪三振は投手の華。これからも彼らしい三振で見る人の心をつかんでほしい」と期待した。


2017年06月02日金曜日


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