山形のニュース

イカ釣り漁の名船頭「日本一」は譲れない

出漁に備え、試運転で設備の調子を確認する本間さん=5月18日、酒田沖

 酒田港を拠点とする中型イカ釣り船団13隻の中に、東日本大震災を乗り越えて漁を続けている船がある。漁労長兼船長の本間健さん(61)=酒田市=のかじ取りで、幾度も水揚げ日本一を達成した第85若潮丸(184トン)。今年の出漁が3日に迫る中、本間さんは「一番になることしか考えない」と準備に万全を期す。震災後に入れ替えた設備は傷みも出始めたが、名船頭の闘志に衰えは見えない。(酒田支局・亀山貴裕)

 「右の3番ドラムおかしくねえか」
 5月中旬、酒田沖での試運転。52本の釣り糸を海中から巻き上げるドラムの変調に気付いた本間さんが、甲板に下りて指摘する。ドラムは震災後に取り換えたものだ。
 「6年たって、そろそろゆがみが出てきたかな」と本間さん。表情を引き締め、整備を急がせていた。
 本間さんは離島・飛島の生まれ。中学卒業と同時に漁船に乗った。若潮丸の船主「石垣漁業」(北海道根室市)に誘われ、イカ釣り船の漁労長になって既に四半世紀となる。
 「当たりもあれば、外れもある。誰かに相談すればいいってものでもない。孤独な商売だよ」
 日本海や北太平洋を回遊するイカを無我夢中で追ってきた。誰よりも早く好漁場を探し当て、時間を惜しんで操業を重ねた。気付けば水揚げ日本一の常連となり、漁業団体の要職を歴任するようになっていた。
 そんな2011年3月、愛船は、整備のため入港していた気仙沼で東日本大震災に遭った。一晩続いた海火事。「俺の船がなぜ」。数日は口も利けないほど、気持ちが沈んだ。
 酒田から駆け付けてみると、船体は一部焼け焦げていたが、幸い機関部や電気系統はほぼ無事。船体修理や集魚灯などの機材の入れ替えで、気仙沼から函館(北海道)にタグボートでえい航することになった。
 「気仙沼の漁師に激励された。『俺たちの分も頑張ってこいよ』ってね」。自分と同じ孤独と船への愛着を抱えた男たちの言葉に「心が震えた」と言う。
 その年の7月末、本間さんは通常より2カ月遅れで出航。オホーツク海まで漁場を広げ、12月までに漁獲高約2億円を達成した。操業期間は他の船より短かったにもかかわらず、全国約70隻の中型船でトップの水揚げを記録した。
 資源の減少や中国船による密漁など、スルメイカ漁を取り巻く環境は近年、厳しさを増しているが、「日本一」への執念は揺るがない。
 「最初から2番、3番でいいと思うようになったら俺は引退する」と本間さん。今年も約8カ月間に及ぶ長い航海が始まる。


関連ページ: 山形 社会

2017年06月03日土曜日


先頭に戻る