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<復興を生きる>「人のために」政界へ

宮城県議会に初登庁し、議員バッジを着けてもらう高橋さん(左)=5月31日

◎3・11大震災/亡き娘の無念背負う 宮城県議 高橋宗也さん(55)=東松島市

 「人の役に立ちたい」。元東松島市職員の高橋宗也さん(55)=東松島市=は改めて心に誓い、政治の世界へ一歩、踏みだした。
 宮城県石巻合同庁舎で5月30日、県議選東松島選挙区(定数1)の補欠選挙の当選証書を受け取った。
 上着の内ポケットにお守りを携えていた。東日本大震災の津波で亡くなった長女沙織さん=当時(22)=の遺髪を入れ、大切に持ち歩いている。
 2011年3月11日。市の災害対策本部から野蒜地区へ急いだ。「助けて」。集会所の屋根に13人が取り残されていた。高橋さんは腰まで水に漬かり、がれきを伝って屋根に上った。厳しい寒さの中、消防団などと共に救助に当たった。7人を救い出したが、6人は息絶えた。
 野蒜地区にあった自宅は津波で全壊。大学4年だった沙織さんは近所の高齢者と避難したらしい、と聞いた。
 「困っている人の助けになりたい」と旧鳴瀬町役場に入って約30年。娘にも「人の役に立つんだぞ」と言ってきた。目の前で命を救えず、家族も守れなかった…。自責の念に駆られた。
 遺体安置所で見た光景が忘れられない。「絶対、津波になんか負けねえぞ」。そう声を絞り出した若い男性の拳は、床に打ち付けて血だらけだった。
 市内では約1100人が犠牲になり、全世帯の約7割が被災した。高橋さんは市職員として災害に強く安全なまちを目指し、復興まちづくり計画の策定などに力を注いだ。
 復興政策部長を担っていたこの春、4月23日投開票の市長選で初当選した元県議渥美巌さん(69)の自動失職に伴う県議補選に、周囲から推された。熟慮の末に立候補を決め5月1日に退職。市野蒜保育所長だった妻千賀子さん(56)も市職員を辞した。
 千賀子さんは「震災でつらい経験をしながら共に歩んできた。同じ方向を向いていこうと思った」と胸の内を明かす。
 告示日の19日、夫婦は選挙カーで古里を巡った。高橋さんはこの日もお守りを携え、街頭で訴えた。「復興は道半ば。東松島の皆さんの思いを県政につなぎたい」。1日で声がかれた。無投票での初当選を、娘が眠る墓前に伝えた。
 震災後、心に傷を負って声が出なくなった子、海を見られない子らを目の当たりにした。子どもの教育支援に力を入れ、笑顔を取り戻したいと考えている。
 沙織さんは11年春、県内の高校で養護教諭として歩みだすはずだった。娘の無念も背負い、人のため身を粉にする覚悟だ。(石巻総局・水野良将)


2017年06月05日月曜日


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