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<私の復興>相互理解 今こそ大事

サークルで日韓の文化や習慣の違いについて話す李さん=宮城県名取市の愛島公民館

◎震災6年3カ月 宮城県名取市・韓国文化を知る会会長 李新金(イ・シングム)さん

 電話の向こうで孤独を訴える声に、耳を澄ます。
 「自分は普通に話しているつもりなのに、感情的だと言われる」「家族に相手にしてもらえない」
 電話が数時間に及ぶこともある。悩みは家族関係がほとんど。異口同音に「東日本大震災の後、状況はひどくなった」と言う。
 日本人と結婚するなどし、宮城県の被災地で暮らす知人の韓国人の悩みを聞くようになったのは、震災から1、2年たったころ。悩みの一因に、言葉の問題がある。
 韓国語は日本語に比べて話しぶりの抑揚が大きい。言い回しも「好き」「嫌い」「私はこう思う」といったように、遠回しな表現を好む日本人よりかなり直接的だ。日本語で話す際、韓国語のニュアンスが交じることは少なくない。
 「日本に暮らして18年。自分もたまに日本的な話し方を忘れることがある」。変えようのない韓国人らしさ。震災は言葉の壁を際立たせ、思わぬ事態を招くことを知った。被災した韓国人が抱える悩みは、自らも身を持って感じる。

 ソウル生まれ。日本の文化に憧れ、韓国の大学を卒業後の1999年11月、働きながら日本語や日本の法律などを学ぶため仙台市に来た。通訳や翻訳の仕事をこなし、震災後、日本人の夫(45)と結婚した。
 ある日、ドライブ中に日本語で世間話をしていて、夫に言われた。「あなた、何を怒っているの?」。ショックだった。互いに何でも話せる夫。自分の気持ちを素直に伝えたつもりだが、感情的に話しているように映っていた。
 夫は後に分かってくれたが、周囲の日本人が皆そうだとは限らない。

 電話の主には、津波で被災した宮城県沿岸部の漁家や農家に嫁いだ人もいる。日本語が上達する間もなく日本人家庭に入った同胞たちには、言葉や習慣の違いがそもそも大きな壁だ。
 震災で今も日常を取り戻せない被災地。発生から6年がたち、少しは落ち着いたとはいえ、多くの人が先行きの不安を拭い切れずにいる。周囲のそんな空気が漂う中、言葉の壁は微妙な摩擦を生み、「家族は自分を理解してくれない」と感じているに違いない。
 韓国人の話し方や考え方を、少しでも日本人に理解してもらうこと。それが、被災地で暮らす同胞の理解につながるのではないか。そう考え2014年、自宅のある名取市で市民サークル「韓国文化を知る会」をつくった。公民館を会場に月2回開催。会員は市内の4人だけだが、韓流ドラマや語学に興味を持つ日本人の主婦が通ってくる。
 「互いの違いを理解し合う関係をこの会から始めたい」。震災で改めて表面化した言葉の壁の大きさ、根深さ。相互理解こそ、私たち被災地で暮らす外国人の復興の一歩になる。そう信じて、受講生らと語り合っている。
(報道部・武田俊郎)

◎私の復興度…30%
 建物など目に見える暮らしの風景は復旧、復興が進んでも、被災者の心の復興の問題は置き去りにされたままなのではないか。外国人も同じ。震災で傷つき、人間関係の修復ができずに悲しみや苦しみを抱えている同胞が少なくない。心の復興が達成されなければ、本当の復興とはいえないと思う。


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2017年06月11日日曜日


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