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<内陸地震9年>地域資源信じ前向く

湯船の点検をする寿美恵さん(左)と成裕さん。岩手・宮城内陸地震、東日本大震災で傾いた温泉旅館の経営立て直しに懸命だ

 岩手・宮城内陸地震の最大被災地、栗駒山麓中腹の標高600メートル前後に位置する栗原市栗駒耕英地区が活気を失いつつある。内陸地震以降、地区民の暮らしを支えてきた観光業と農業は衰退し、高齢化と人口減が加速。東日本大震災に伴う福島第1原発事故の放射能汚染と風評被害が追い打ちをかけた。内陸地震から9年を迎えた耕英地区の今を取材した。(若柳支局・横山寛)

◎再興の曲がり角 栗原・栗駒耕英(中)中核世代

 内陸地震発生直後、耕英復興の中心になったのは「2世」と呼ばれる世代だった。当時は40代から50代の働き盛り。戦後、栗駒山麓を開拓した入植者の跡取りらが、復興計画作りやイベントを通じて地区民の連携を図り、折れそうになる心を支え合った。
 「あの頃、耕英にわれわれ2世世代は15、16人いた。でも山を下りたり、亡くなったりして半分になった。ほとんどが60代でパワーも落ちた」。行政区長の農業斎藤英志さん(67)はさみしげな表情を浮かべる。

<働く場所少なく>
 耕英に住む3世は7人。地域の中核になる世代だが、地元で働いている人はいない。耕英にあった化粧品会社の工場に勤務していた斎藤さんの長男仁志さん(38)は、内陸地震に伴う工場閉鎖で解雇された。現在は耕英から一関市のリサイクル工場に通勤する。
 仁志さんは「同世代の仲間が耕英にいて、ちょくちょく顔を合わせていればイベント開催など活性化に向けた話もできるのだが、(住んでいる人が)少ないから顔を合わせる機会もない」とうつむく。
 栗駒小耕英分校の同級生の多くが山を下りた。冬季は雪に埋まる山で暮らすのは容易ではない。働ける場所も少なく、過疎化に歯止めがかからない。
 そんな中、1969年開業の温泉旅館「くりこま荘」の娘夫婦が東日本大震災後、Uターンしたことを仁志さんは心強く感じる。

<帰郷し家業継ぐ>
 くりこま荘社長の菅原次男さん(75)の次女南寿美恵さん(42)は、内陸地震と震災による経営悪化で父が廃業を検討していることを知り、家業を継ぐ意志を固めて12年に仙台から帰郷した。
 「くりこま荘は私の実家。実家が無くなるなんて考えられなかった」。介護施設に勤務していた夫の成裕(なりひろ)さん(40)も、今は支配人として働く。
 家族経営の温泉宿だから、住み込みの24時間勤務みたいなものだ。湯の出が悪いと、雨風が強くても約2キロ離れた山中にある源泉やパイプを点検しなければならない。寿美恵さんは情報発信に努め、経営立て直しに躍起になった。
 苦労は徐々に報われ、「どん底だった」という経営状況は、内陸地震前の7割程度にまで回復した。「少しだけ光が見えてきた」と寿美恵さんは前を向く。
 栗駒山麓では新緑や紅葉が楽しめる。高層湿原の世界谷地を散策すれば高山植物に出合える。5店が味を競うイワナ丼も名物だ。資源はある。それが地域活性化のため生かし切れていないところに、寿美恵さんはもどかしさを感じている。

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▽再興の曲がり角 栗原・栗駒耕英(上)観光
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▽再興の曲がり角 栗原・栗駒耕英(中)中核世代
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201706/20170616_13045.html
▽再興の曲がり角 栗原・栗駒耕英(下)息吹
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2017年06月15日木曜日


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