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<内陸地震9年>大震災 期待打ち砕く

第三セクターが経営していた栗駒高原オートキャンプ場は、内陸地震で激しく傷み休業した。家族連れらに好評だったが、再開のめどは立っていない

 岩手・宮城内陸地震の最大被災地、栗駒山麓中腹の標高600メートル前後に位置する栗原市栗駒耕英地区が活気を失いつつある。内陸地震以降、地区民の暮らしを支えてきた観光業と農業は衰退し、高齢化と人口減が加速。東日本大震災に伴う福島第1原発事故の放射能汚染と風評被害が追い打ちをかけた。内陸地震から9年を迎えた耕英地区の今を取材した。(若柳支局・横山寛)

◎再興の曲がり角 栗原・栗駒耕英(上)観光

<施設 廃虚のよう>
 日に日に緑に深みが増す栗駒山麓の所々で、茶色い山肌がさらされている。地震による地滑りや土砂崩れの跡だ。観光施設も激しく傷んだ。登山道入り口に通じる県道沿いには、休業したオートキャンプ場管理棟が廃虚のようにたたずむ。
 温泉宿泊施設「いこいの村栗駒」は取り壊され、更地になった。土石流で全壊した温泉旅館「駒の湯温泉」は2015年、小規模日帰り温泉として復活したが、かつての集客力はない。
 「耕英はさみしくなった。観光施設を再建してほしいところだが、採算が合わないのだろう」。今年3月まで耕英地区行政区長を12年間務めた金沢大樹さん(74)はため息をつく。
 区長になったころ、耕英に住民票がある世帯は50ほどだったが現在は30に。実際に住んでいるのは23世帯にすぎない。
 内陸地震直後、全世帯が避難を強いられる中、住民らは「山に戻る」と一丸になった。戦後、ブナの原生林をおのとくわで切り開いた土地だ。住民はライフラインの復旧を行政機関に強く要請。避難指示が解除されたのは09年5月だった。
 養殖イワナの釣り堀、食堂で出す塩焼きや山菜料理が好評で、耕英の観光スポットだった熊谷養魚場は10年春に営業を再開した。全国から観光客が押し寄せ、30台分の駐車場は平日でも満杯になった。
 「我慢が報われた」。経営する熊谷昭さん(72)は高揚感を抱いた。ふ化場や食堂を直すための借金はすぐ返済できた。休業する降雪期は道路の除雪が生活の糧。雪解けを楽しみにしていた11年3月、東日本大震災が発生し、観光客が激減して経営は赤字に陥った。

<「不透明」な将来>
 12年は放射能汚染が深刻化し、栗駒山麓では山菜が出荷制限に。養殖イワナは風評被害で見向きもされない。「もう限界だ」。13年3月、養魚場は休業に追い込まれた。一緒に働いていた長男も山を下りて新たな職に就いた。
 栗駒山麓利用組合が運営する観光施設「山脈(やまなみ)ハウス」も10年は売り上げ好調だったが、11年は3分の1に落ち込んだ。今も売り上げは減ったままだ。
 組合長の大場浩徳さん(56)は、「くりこま耕英震災復興の会」の会長を務めていた。会が描いた構想では今頃、内陸地震前の仕事を軌道に乗せ、活気ある地域づくりに乗り出しているはずだった。
 「仲間と耕英の将来について語り合うと『限界集落』『不透明』という話になる」。大場さんはやるせない表情で語る。それでも山脈ハウスを拠点に、踏ん張るつもりでいる。

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▽再興の曲がり角 栗原・栗駒耕英(上)観光
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▽再興の曲がり角 栗原・栗駒耕英(下)息吹
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2017年06月14日水曜日


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