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<あなたに伝えたい>手作りのぬか床 今も大切に

自宅のビニールハウスでトマトを栽培する礼子さん

 小野寺諭(さとし)さん=当時(25)= 陸前高田市職員で、同市内のアパートに1人で暮らしていた。勤務中に東日本大震災の津波に遭い、2日後の3月13日、同市の廻舘橋付近で遺体が見つかった。震災の前日、気仙沼市赤岩石兜の実家に泊まり、夜に母礼子さん(66)と会話を交わした。

◎勉強熱心で何でも挑戦した息子/小野寺礼子さん(気仙沼市)諭さんへ

 礼子さん 次男の諭は仙台の大学に入り、それ以降離れて暮らしていました。市職員になり、まだ1年たたないうちに震災が起きました。
 陸前高田は車で通える距離ですが、「職員が市民税を気仙沼に払うのはおかしい」と話し、1人暮らしを勧めました。少ない月給の中で家計をやりくりし、図書館で難しい専門書を読む姿に、たくましさを感じていました。
 震災前日、諭は気仙沼であった飲み会に参加するため実家に戻っていたのです。赤ら顔で居間に入ってきて、お茶漬けを食べていました。「何も食べてこなかったの?」と尋ねたのが最後の会話になりました。翌朝、ご飯も食べずに陸前高田に向かい、津波に襲われました。
 一度興味を持つと、積極的に何でも試してみる性格。高校受験の直前、急に「ぬか漬けを作る」と言い出してぬか床を作った姿が忘れられません。料理漫画でも読んで影響されたのでしょうね。今もそのぬか床を大事に使っています。
 ふとした瞬間に諭のことを思い出すことがあります。先日、長男の息子で中学2年の孫がパソコンに向かう後ろ姿を見てドキッとしました。「何で諭が…」と思うぐらい似ていました。今も諭のことは忘れられません。
 私は震災直後に気仙沼市役所を退職し、今は家庭菜園やプールで体を動かしながら老後を過ごしています。
 生きていれば32歳。結婚していたのかなあ。諭は25年の人生を十分に楽しんだかもしれないけど、もっと長生きしてほしかったよ。


2017年06月18日日曜日


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