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<仙台市長選>立候補者はこんな人

左から大久保三代さん、菅原裕典さん、郡和子さん、林宙紀さん

(届け出順)

◎林宙紀さん(39)=無新/決断力に自信挑戦選ぶ

 国政から仙台市政へと挑戦の場を変えた。「東北が世界から注目される地域になるには、仙台をより魅力ある地域にすべきだ」。政治家を志した原点という東北発展への思いは、衆院議員時代から変わらない。
 東大アメリカンフットボール部主将として部員約120人を率いた経験から、「常に責任と覚悟を持って決断し、行動する」というリーダー像を描く。「冷徹なところがある」と分析する自身の性格は、「決断するスピードは誰にも負けない」という自信の裏返しでもある。
 立候補表明前に民進党を離党し、組織に頼らない道を選んだ。「しがらみがなく、正しいことを正しいと言える。一見、不利かもしれないが、ひっくり返したら、全国がびっくりする」と闘志を燃やす。
 人口減少を前提としたまちづくりに疑問を持ち、看板政策に掲げた「人口150万の都市づくり」も、そうした反骨心の表れだ。今より40万以上増やす目標で「(市民から)荒唐無稽と言われる」と明かすが、「挑戦しなければ、この世に新しいものは生まれない」と、信じる道を突き進む。
 人口増を目指し、認定ベビーシッター制度や教育バウチャー(クーポン)制度の創設、外部指導員制度の拡充など具体策を次々と打ち出す。「リスクを取って攻める。仙台から全国に解決策を示す」と思いは揺るがない。
 「政治は10年以上先に成果が出ることを決める。私たちの決定は、今の子ども世代に大きく影響する」。長期的な視野に立ち、街の衰退に危機感を募らせる。演説では「子ども世代に誇りを持って仙台市を引き継ぎたい」と訴え続ける。
 趣味は天体観測だが、「最近は夜空を見上げるくらい」。青葉区の自宅で妻恵美さん(41)と暮らす。

◎郡和子さん(60)=無新(民・社支)/「弱者に光」活動の原点

 12年間の衆院議員生活にピリオドを打ち、市長選への立候補を決断した。「前例主義でなく、新しい例をつくる『創例主義』こそが大切」。議員立法などで培った国政での経験を、今こそ古里仙台のために役立てたいと立ち上がった。
 議員時代、不登校の子の学習支援にフリースクールを組み入れるなど数々の議員立法提出に関わった。「いじめ防止対策推進法」もその一つだ。
 市内では中学生によるいじめ絡みの自殺事案が相次いで発生。「子どもを守る立法の理念や思いがなぜ反映されていないのか」。立法に関わった者として責任も感じている。市長に就任した場合、真っ先に教育改革に取り組む考えだ。
 国政転身前は地元民放局のアナウンサーとして26年間活躍。社会の不条理に翻弄(ほんろう)されたり、弱い立場で苦しんだりする人たちを描いたドキュメンタリー番組を手掛けた。子どもの貧困やいじめ問題など「弱者に光を当てる」という自らの原点だ。
 東日本大震災では、被災しながらも地域のために支援活動をする市民の姿に心を打たれた。「皆さんの力を集めれば、もっと大きな力となり、仙台をよりよくしていける」。自らの政策の真ん中に「市民」を据えた大きな理由だ。
 自身の性格を「大変ポジティブで、常に周りを明るくできる人間。あははは」と豪快に笑う一方、立候補決断までは「国会議員のバッジを外していいのか相当悩んだ」と一時、弱気になったことも明かす。
 在仙作家の伊坂幸太郎さんの小説を読むことが気分転換。全作品を読んだ。夫の尚徳さん(62)と長女絵美さん(32)と太白区の自宅で暮らす。「国政に挑戦した時と同じように、温かく送り出してくれた」と家族の理解に感謝する。

◎菅原裕典さん(57)=無新(自・公・日支)/葬祭業界屈指の仕事人

 幼いころ、塩釜市にある父方の実家の葬儀社を手伝うと500円の小遣いがもらえた。休みのたびに通ううち、仕事の面白さに目覚めた。高校2年の時、進路に関する作文に「葬祭会社を起こす」と書き、担当の教諭に珍しがられた。
 大学卒業後、名古屋市の葬祭会社で1年働き、1985年に父親と葬祭会社を設立した。顧客第1号は、開業前にコピー機を売り込みに来た営業マン。契約は断ったが、開業日に「身内が亡くなった」と連絡を受け、人の縁を実感した。
 「仕事の息抜きは仕事」と語る根っからの仕事人間。24時間の呼び出しに対応するため、酒は口にしない。会社設立から32年で社員、パートを合わせた従業員数は450人に増え、家族経営が多い業界では全国屈指の規模になった。
 県政界では村井嘉浩知事、梅原克彦前市長、日本のこころの中野正志参院議員(比例)らの選挙を支えた参謀として知られる。政治に関わる理由を「経営者は欲張りで、いろいろな情報を知りたいと思うもの。政治だけでなく商工会活動、ボランティアにも積極参加してきた」と話す。
 長らく「黒子」に徹してきたが、経済界有志と、盟友の村井知事に背中を押され今回、初めて表舞台に立った。「生まれ育った仙台をこよなく愛している。力強い仙台をつくることに生涯を懸ける」と言い切る。
 大の車好き。初めての愛車は高校3年時に手に入れた中古のスカイラインで、現在のお気に入りは1948年に製造されたクラシックカーのベントレー。「エアコンがないので、家族には不評」と苦笑する。
 泉区の自宅で妻(53)と暮らす。会社を継ぐ長男(29)夫婦も市内在住。東京には会社員の次男(26)、大学3年の長女(20)がいる。

◎大久保三代さん(40)=無新/子ども最優先前向く母

 長女(5)と次女(3)の育児や家事に追われ、政治活動に使う時間は限られる。厳しい選挙戦は覚悟の上で、「参画していないと政治の感覚がなくなってしまう」と一念発起した。
 大学卒業時は就職氷河期のさなか。東京での就職を諦め、大分県の実家に戻ったが「何をしたらいいのか分からなかった」と失意の日々を過ごした。
 大分県や同県臼杵市のキャンペーンレディに選ばれたことが転機となった。県内をくまなく回り、地域づくり活動に目覚めた。NPO法人を主宰して農家から古民家を借り、都市と農村の交流会や結婚支援の合コンを開催。「グローバルに考えて、ローカルに行動する」が信条だ。
 政治にも目覚め、自民党の候補者公募や松下政経塾の入塾試験を受け続けた。2012年12月の衆院選宮城5区の自民党の公募を通り、政権交代の追い風を得て比例東北で初当選した。14年12月の衆院選は党公認を得られず、立候補を断念した。仙台市泉区に移住した後は15年8月の市議選、同10月の県議選に相次いで挑んだが、苦杯をなめた。
 「立ち直りが早い」と自己分析する。「国政経験者が市議選や県議選に出るのは有権者に許してもらえなかったが、市長選は反応がいい」と前向きに捉える。
 市長選では「チルドレン・ファースト(子ども最優先)」をキャッチフレーズに掲げる。市立小中学校の統廃合を進めて、空いた校舎や土地を売り、売却益による新校舎の整備を提案する。「子どもたちに老朽化した箱物を残さない」と、母親の視線でも強調する。
 社会福祉士と精神保健福祉士、保育士の資格を持つ。政界進出前にはNHK北九州局でキャスターを経験した。泉区の自宅に勤務医の夫(38)と長女、次女の4人で暮らす。


2017年07月11日火曜日


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