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<私の復興>偏見の解消へ道半ば

患者や家族からの電話相談に応じる萩原さん=仙台市宮城野区のみやぎNPOプラザ

◎震災6年4カ月〜仙台市太白区・日本てんかん協会宮城県支部事務局長 萩原せつ子さん

 社会の理解が進まない。脳の神経細胞が過剰に活動することで発作を起こすてんかんを患う人は人口の約1%とされる。国内で100万人以上。誰もが発症する可能性がある病気だが、偏見や差別は根強い。東日本大震災は悩み、苦しむ患者をさらに追い詰めた。
 日本てんかん協会宮城県支部は震災後、患者らのために電話相談を始めた。「あの日から時間が止まったままの患者たちがいる」。患者や家族と向き合う事務局長萩原せつ子さん(67)=仙台市太白区=は、深まる患者らの孤立を肌で感じてきた。
 「発作が起きて病気がばれるのが怖い。避難所に行けない」「薬が津波で流された。どうしたらいいか分からない」
 震災直後から、切実な訴えが続いた。多い日は1日10件近く。他の支部役員と協力し、診療可能な医療機関などの情報を伝えることに奔走した。
 病院やライフラインは元に戻る一方で、患者の生活再建を巡る相談は深刻さを増した。

 家族で漁業を営んでいた女性患者は、震災でなりわいを失った。別の仕事を探そうとしても、てんかんが障壁となり、採用してもらえずにいた。自宅が全壊した1人暮らしの女性患者は病気を隠し、周囲に助けを求められず孤立した。福祉サービスも利用せず、どこからも被害を把握されずにいた。
 親身に話を聞き、時には本人に付き添って罹災(りさい)証明をもらいに行ったことも。
 「患者の就労問題や支援体制の不足といった以前からの課題が、震災で一気に顕在化した」
 6年4カ月になる今もなお、相談は月に15〜20件に上る。震災後、てんかんの患者が運転する車が暴走し、死傷者を出した事故が全国で相次ぎ、不安を拡大させた。
 「患者であることを会社に告げていいのか」「てんかんと診断されショックだ」。内向きになる患者は、震災の復興から取り残されているように映る。
 自身も患者の家族として長年、社会の無理解に苦しんできた。娘が3歳で発症。「感染する」と言って逃げ出す知人がいた。「母親の愛情不足のせい」と言われたことさえあった。

 てんかんは、適切な治療を受ければ多くの人が発作のない生活を送ることができる。人にうつる病でもない。「地道な啓発が必要だ」。震災で患者が苦しんでいることを教訓に、宮城県支部は一般向けの講演会や出前講座を始めた。
 福祉関係者だけでなく、タクシー運転手ら幅広い人を対象に、病気の知識や発作が起きた時の対処法などを伝えてきた。行政にも患者の相談に十分に対応する態勢の整備を求めている。
 災害は日常の延長線上で起きる。「患者が安心して暮らせる社会にならなければ、同じ苦しみが繰り返される」。1日1人以上に、てんかんのことを伝えよう。そう自分に課す。一歩一歩、進むしかない。
(報道部・菊池春子)

●私の復興度・・・15%
 病気や障害のある人を取り巻く多くの課題は、震災でより過酷な状況を引き起こした。それを一つ一つ解決しなければ、本当の復興につながらない。てんかんについて理解してくれる人は少しずつ増えているが、患者が病気を隠さずに生きられる社会にはなっていない。専門の病院が少なく、相談できる場所もほとんどないのが現状だ。


2017年07月11日火曜日


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