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<テニス杉田>「情熱絶やさない」仙台が原点

「ゴールは決めず、できるところまで続けたい」と今後の競技人生への思いを語る杉田

 男子テニスのアンタルヤ・オープンで日本男子史上3人目のツアー優勝を果たし、ウィンブルドン選手権で自身初の四大大会勝利を挙げた杉田祐一(三菱電機、仙台市出身)が19日、東京都内で河北新報社のインタビューに答え「今が一番のチャンス。情熱を絶やさず、プレーし続けたい」と今後の抱負や古里仙台への思いを語った。(聞き手は剣持雄治)

<多くの支えと励まし>
 −日本男子歴代2位となる世界ランキング43位に浮上。18歳でプロになってから10年がたち、開花した。
 「僕はラッキーだ。少ないチャンスを逃し、ずるずるといくことがスポーツの世界にはたくさんある。もう一度頑張りたいと思った時、支えて励ましてくれる人がたくさんいたことが大きい。常に情熱的でありたいと思う。プロになっていろいろな波があったが、ここまでたどり着けたのも情熱が突き動かしてくれたからだ」
 −小学1年で競技を始めてから国内を拠点に基礎をつくった。
 「(子どもの頃から)無理に海外に出なくてもいい。世界や他の環境をうらやむ必要もない。日本だけで(トップ選手に)育つのは難しいが、ベースとして日本で活動するのは可能だと証明したい。まず、僕がここから引き続き好成績を残すことが一番大切だ。ここでは終わりたくない」
 −仙台での思い出は。
 「楽しくテニスをさせてもらった。プロになっても楽しむことは必要だ。きついと思ったのは高校から。仙台で楽しかった思い出が残っているから、プロを続けられている」

<復興支援が刺激に>
 −東日本大震災の復興支援活動で年に1度、古里仙台でのテニス教室に参加する。
 「仙台に帰ると自分自身、もっと頑張らないといけないという気持ちになる。『初心に帰る』ではないが、プロ生活では(競技に対する向き合い方など)いろいろと見詰め直す時が必要。それを助けてくれるいい機会になっている」
 −昨年はリオデジャネイロ五輪に出場するなど世界でも存在感が増してきた。
 「多くの選手が警戒してくれるようになり、こちらもやりやすい。試合で相手が引いてくれる場面があり、今が攻め時。低い弾道(のショット)は自分の持ち味であり、海外の選手が嫌がっていると感じる。こういう時にもう一度、グッといい成績を出すことが大事だ」

<すぎた・ゆういち>1988年、仙台市出身。同市長命ケ丘小1年で競技を始め、長命ケ丘中1年まで同市で過ごした。神奈川・湘南工大付高2年で全国高校総体男子シングルスで優勝、3年でプロに転向。2007年2月に18歳4カ月で出場した男子の国別対抗戦デビス杯では日本シングルス史上最年少勝利記録(当時)をつくった。176センチ、71キロ。28歳。


2017年07月20日木曜日


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