宮城のニュース

<あなたに伝えたい>毎朝読経仏の道で再会願う

自宅の仏壇に向かってお経を唱える中里さん

◎共に自宅で津波にのまれた母、妻、孫/中里勉さん(宮城県石巻市)はつよさん、こう子さん、煌冴ちゃんへ

 中里はつよさん=当時(83)=、こう子さん=同(59)=、煌冴(こうが)ちゃん=同(4)= はつよさんは長男勉さん(67)、こう子さん夫妻と石巻市大街道南で暮らしていた。勉さんが近くに住む孫の煌冴ちゃんを託児所から連れて帰宅後、津波が押し寄せて勉さんだけ生き残った。

 勉さん 女房は花が好きで、東日本大震災のあの日も地震で倒れた玄関の鉢を直したり、こぼれた土を掃いたりしていました。
 津波が自宅に押し寄せてくると、女房は孫を背負って2階に向かって走り、「お母さんをお願いします」と私に声を掛けました。
 私は逃げる間もなく、右半身が不自由なおふくろを抱えたまま1階の天井まで水に押し上げられました。天井裏のわずかなスペースに自分とおふくろの顔を出しましたが、体は水に漬かったまま。おふくろが「冷たくてもうだめだ」と言うので「頑張れ」と励ましたのですが、腕の中で力尽きてしまいました。
 水が少し引いてから2階に上がりましたが、女房と孫はいません。3日後、自宅の1階で2人は見つかりました。煌冴は働く車が好きな子でした。私が砂を生産する会社を定年退職する前、パワーショベルに乗せてやると喜んでいた姿が今も目に浮かびます。
 私は昔から、お不動さんを信仰しています。震災後は神も仏もないと思いましたが、生かされた私にできることは家族や震災犠牲者の冥福を祈ることだと思い、2012年から会津や京都、淡路島などで寺巡りをしました。
 今は自宅に設けた私だけの本堂で毎朝、お経を唱えています。仏の道は大変だといいますが、今日も無事に歩んでください。私もいつか死にます。その時は、孫に「じいじ待っていたよ」と言ってもらえるのでしょうか。


2017年07月23日日曜日


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