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<仙台いやすこ歩き>(62)地サイダー/酒販店の情熱はじける

 噴き出る汗を拭き拭き、いやすこは海へ向かった。
 やって来たのは宮城県松島町。遊覧船発着所まで来て見回すと、目指す「むとう屋」の看板。「あったね!」と画伯と顔を見合わせて、ホッ。今回会いたかったのはシュワーッとして、スカッとするもの、みんなが大好きなサイダーだ。
 勇んで入っていくと、壁面には日本酒がずらり。「酒屋さんが何ゆえサイダー?」の謎が深くなったところで、株式会社むとう屋代表取締役の佐々木繁さん(69)が奥から登場し、蔵造りの店の2階に案内してくれた。広々としてちょっと暗い空間に、酒造りに使う重さ2トンの槽(ふな)口(くち)が置いてあり、酒だるのふたを利用したという円卓がゆったりと配置されている。円卓を囲んで話を伺った。
 「うちは、宮城の地酒だけを置いて40年以上になるんですよ」。創業70年というむとう屋さんは、それまで全国の売れ筋の酒を扱っていた。「商売の原点は、作り手の気持ちを伝えること」と、地場の酒だけを伝えていく商いに大転換したのだという。40年前といえば地酒ブームが始まる前のことだ。
 初代であるお父さんを高校1年の時に亡くし、2代目を継いだお母さんを支えながら、商いという、流通の担い手の役割を考えてきた。佐々木さんの思いはやがて、酒米の米作りから販売までを、農家と醸造元と酒販店がチームとなって取り組む、宮城のオリジナル酒の開発へとつながる。前に取材させていただいた阿部勘酒造さんで造っていた、松島に特化したお酒「いやすこ」の開発もその一つだ。
 そんなむとう屋さんがサイダーを企画したのは? 「お酒といえば買うのは大人。商売として対象が偏ってしまうのが何とも…。子どもが好きでね」と相好を崩す。子どものための地場産飲料を思い立ったら、ちょうど松島町内に梅を栽培している農園があり、製造はトレボン食品さんに、と話が進んだそうだ。
 「作る人が集まって話すとみんな燃えてくる。それが大切です」。果汁3%。香りを生かすことが、開発のポイントとなった。「どうせ飲むなら本物が入っていた方がいいですから」と話す佐々木さんは、もう一つ梅サイダー誕生の裏話を聞かせてくれた。
 試作品が出来上がった時、店に研修に来ていた高校生に飲ませたところダメ出しがあったそう。その意見を反映し、甘みを加え、昨年4月「松島梅サイダー」発売となったそうだ。好評を受けて今年は第2弾、亘理産イチゴを使用した「松島サイダー苺太郎」も発売し、これも人気で−。
 そこに実物が登場だ! 佐々木さんの話に引き込まれて乾きを忘れていた喉に、ゴクッ、ゴクッ。「うわ〜、シュワーッとする」。甘酸っぱい梅の香りが爽やか。2人で乾杯したところで画伯がさらに一言「キレもいい!」。
 夏にサイダー、やっぱりいい。もくもくした入道雲が青い海に浮かぶ景色にもぴったり。「水族館がなくなってしまったけれど、子どもたちにも松島に来てほしいな」と佐々木さんの地元思い、子ども思いは止まらない。地サイダー第3弾も模索中だ。

◎今世紀に入り復活の動き

 サイダーの故郷はヨーロッパである。17世紀後半、世界で最初に商品化された清涼飲料「レモネード」が誕生する。この時期のレモネードは水にレモン果汁と砂糖を加えたもので、炭酸が含まれたレモネードが生まれたのは18世紀中頃。これが幕末の日本にもたらされ、「ラムネ」と名を変えて日本の炭酸飲料誕生となる。
 明治時代、レモン味のラムネの他に、リンゴ風味の炭酸飲料として生まれたのがサイダーである。明治から昭和中期にかけて、全国に70種以上の地サイダーがあったといわれる。地元のみで生産・流通し、駄菓子屋などで売られた。製造中止や廃業に追い込まれたものも少なくないが、21世紀に入って地サイダー復活の動きが見られる。宮城の地サイダーには、松島の他に石巻の金華サイダー、金華サイダーシークヮーサーがある。
 ▽参考資料/「なぜ三ツ矢サイダーは生き残れたか」立石勝規(講談社)、「地サイダー読本」レトロモダン飲料愛好会(春日出版)
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 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2017年07月24日月曜日


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