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<東京五輪>64年大会ポスター 石巻の喫茶店に

ポスターにビニールをかぶせて大切に飾り続ける良枝さん

 東日本大震災で被災した宮城県石巻市中心部の喫茶店「むぎ」に1964年東京五輪のポスターが飾られている。2013年に病死したマスター増子昌之助さん=当時(86)=が半世紀にわたり大切にしていた。復興五輪を掲げる20年東京五輪・パラリンピックの開幕まで24日で残り3年。「石巻から五輪選手を」。津波の痕跡が残るポスターにはマスターの願いが込められていた。

 陸上選手の力強いスタートの瞬間を切り取った写真ポスターは、有名デザイナーの故亀倉雄策氏(1915〜97年)の作品。62年2月に国立競技場で撮影され、9万部刷られたという。喫茶店に残るポスターは全体的に黄ばみ、水に漬かった染みが一部に残る。
 喫茶店は59年に開店。口数の少なかった増子さんはポスターについて多く語らず、妻の良枝さん(74)は「陸上関係のお客さんが持ってきたと言っていた気がする」と記憶をたどる。
 常連客も入手経路は分からなかったが、宮城県柴田町の柴田小校長坂本忠厚さん(56)がポスターにまつわる話を聞いていた。
 坂本さんは震災当時、石巻市教委生涯学習課に勤務。避難所となった仕事場の石巻中央公民館で、身を寄せた増子さんの話し相手になったという。
 体調を崩した増子さんの力になれればと、人となりを文章にまとめ、避難所で紹介した。海軍飛行予科練習生に志願した話や、横浜で飲んだコーヒーが契機となって喫茶店を始めた思い出話…。ポスターについて「(増子さんが)自分の気持ちを鼓舞するために貼った」とある。
 坂本さんは「マスターは少年野球を教えるなどスポーツ好きで、石巻から五輪選手を育てたいと言っていた」と振り返る。
 増子さんは約1.8メートル浸水した店を修復し、11年11月に再開した店でカウンターに立った後、13年7月に死去した。喫茶店は良枝さんが受け継いだ。
 石巻市は東京五輪に向け、聖火リレー出発地の誘致活動などに取り組む。良枝さんはポスターを眺めながら「生きていたら楽しみだったことでしょう」と懐かしむ。


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2017年07月25日火曜日


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