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「気仙沼から五輪へ」フェンシング指導熱衰えず

高校生にアドバイスする千田さん=気仙沼市

 モスクワ五輪(1980年)フェンシング日本代表で、宮城県気仙沼市内の高校で長年、フェンシングを指導してきた同市出身の千田健一さん(60)が、今春の定年退職後も市内で競技の普及に励んでいる。これまで2人の五輪選手を育てた千田さんは「もう一度気仙沼からオリンピック選手を出したい」と情熱は衰えない。

 「攻め急いでポイントを取りにいくのではなく、余裕を持って相手の攻めをかわしてみろ」。市総合体育館で今月上旬、千田さんは今夏のインターハイに出場する高校生相手に熱血指導に当たっていた。
 市フェンシング協会が毎週火曜夜に開く小中高生を対象にした練習会で、千田さんは毎回、練習に顔を出す。週末には気仙沼高フェンシング部OB会長として同校に足を運び、後輩に技を伝えている。
 千田さんは「頑張れば世界に手が届くような力のある子がたくさんいる。教えることは生きがいの一つ」とうれしそうに話す。
 24歳で代表となったモスクワ五輪は日本がボイコット。関東を活動拠点としていたが、地元に教員として戻りたいとの思いがあり、ロサンゼルス五輪(84年)は諦めた。
 82年に鼎が浦高(統合で現気仙沼高)で教員人生が始まり、市内の高校で25年間、顧問などを務めた。教頭や校長になっても時間を見つけては指導を続けた。
 2004年アテネ大会から3大会連続で五輪出場した菅原智恵子さん(40)、千田さんの長男で12年ロンドン五輪団体銀メダルの健太さん(31)も育て、インターハイ団体で鼎が浦高を4度、気仙沼高を1度全国制覇に導いた。県内の高校のフェンシング部顧問として活躍する教え子も多い。
 千田さんは「気仙沼でフェンシングと出会い、関わり続けたことで素晴らしい人生を過ごすことができた。指導を続けることが地元への恩返し。気仙沼から世界に飛躍する選手を育て続けたい」と抱負を語った。


2017年07月25日火曜日


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