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学校日誌が伝える戦争 角田・枝野小に保管

戦前の学校日誌を調べる佐藤校長(右)ら
1911年の学校日誌。海軍兵と青年が剣術の試合をしたことが記されている

 角田市枝野小(児童81人)が、戦前の学校日誌の分析を進めている。校内に残されていたのは、最も古い1911(明治44)年から、終戦の45(昭和20)年までの日誌や教科書など計82点。勤労生産や教育勅語が朗読された式典に関する記録など、児童が戦時体制に動員された様子が伝わる貴重な資料だ。学校は地域の歴史を学ぶ上で格好の教材として、授業に活用する方針。

 枝野小は1873年開校。1911年の日誌には、朝鮮に行くため児童2人が退学したことや、海軍兵と青年が剣術の試合を行ったことが記載されている。
 太平洋戦争が始まった41年12月8日付には「米、英二対シ宣戦布告」と記されている。戦況が悪化した44年は連日、縄をなったり、イナゴを捕ったり、高学年は防空壕(ごう)を掘ったりと作業を行った。軍に入営する教員の見送りや、警戒警報の発令なども記されている。
 1890年に発布された教育勅語を巡り、発布日の10月30日に例年、記念式典が行われた記録もある。
 児童たちが「帰途上二於テ口論事故アリ」と学校帰りにけんかしたことや、遅刻や早退をしたことなど、いつの時代も変わらない子どもたちの様子もうかがわれる。
 枝野小は2学期、6年生の社会の授業で日誌を利用する予定。戦前に学校生活を送った地域の高齢者を招き、当時の様子を話してもらうことも計画する。
 資料は学校3階の書庫に保管されていた。県内各地の学校日誌を研究する宮城学院女子大の大平聡教授が2016年度、角田市内の小学校を調査したことが契機となり、学校側が日誌の存在に注目した。
 佐藤瑞恵校長は「地域の歴史を深く学び、自分たちのルーツを知ることができる資料として授業に役立てたい。当時の話を直接、児童に聞かせたい」と話している。


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2017年08月04日金曜日


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