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<戦後72年>教育勅語の記憶(上)義勇軍 少年を戦場へ学校加担

当時の小学5年の修身の教科書に記された教育勅語(仙台市歴史民俗資料館所蔵資料)
70年ぶりの卒業証書を手に取る佐藤さん。当時と今の学校の違いに感慨を覚える

 戦前の教育指針だった教育勅語。道徳の基本を教えるとともに、天皇の臣民としての務めを求め、軍国主義を支える役割を担った。戦後72年の今年、学校法人「森友学園」問題などで、勅語がにわかに注目を集める。勅語の時代の学校はどんな雰囲気だったのか。当時を知る人々を訪ねた。(角田支局・会田正宣)


 戦争で卒業式に出られず、70年ぶりに卒業証書を受けた人がいる。丸森町石倉の農業佐藤三吉(みきち)さん(86)。同町丸森小で授与された卒業証書を、佐藤さんは万感の思いで見つめた。
 佐藤さんが出席した2015年の式では、児童一人一人がスピーチをした。「今の学校では個人が大事にされる。全体主義の時代とは大きく変わった」と感慨深げに語る。
 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ(万一危急の事態が起きたら、大義に基づき勇気を奮って一身をささげ、皇室国家のために尽くせ)」。佐藤さんはそんな勅語の下で育った。

◎同級生らと渡満

 1945年3月、旧丸森国民学校高等科2年だった14歳の佐藤さんは、卒業式の直前に、旧満州(中国東北部)の開拓と国境警備に当たる満蒙(まんもう)開拓青少年義勇軍に参加。敗戦で一時、旧ソ連軍の捕虜となった。
 農家の三男。進学は考えられなかった。南満州鉄道に就職希望だったが、担任は「募集がない」と義勇軍を熱心に勧めた。佐藤さんは「学校に割り当てがあったんだろう」と推測する。
 佐藤さんも抵抗はなかった。軍人は児童の憧れの的で、特攻要員にもなった海軍飛行予科練習生の学校訪問にも心が躍った。上空を旋回する航空兵の練習機を、校庭に「万歳」の人文字をつくって迎えた。丸森国民学校は義勇軍養成の県南の拠点校だったとされ、同級生5人で渡満した。
 紀元節(現在の建国記念の日)などの記念日や、12月8日の太平洋戦争開戦にちなむ毎月8日の「大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)」には式典があった。校庭の奉安殿から御真影(天皇、皇后の写真)と勅語の巻物が出され、校長が恭しく朗読した。「意味は分からなかったが、毎日、『国に尽くせ』と戦争に駆り立てられた」

◎全体主義支える

 82歳で漢学を学んだ佐藤さんは「戦争と結びついたのは問題だが、『父母ニ孝ニ(親に孝行を尽くし)』『夫婦相(あい)和シ(夫婦むつみ合い)』などの内容は立派だ」と感じている。
 戦前の教育に詳しい宮城学院女子大の大平聡教授(62)は「学校で戦争を当然のこととして教え、児童を戦時体制に組み込んだ。勅語は臣民教育の根幹で効果は絶大だった」と解説する。
 第2次安倍晋三内閣は今年3月、勅語を憲法や教育基本法に反しない形で、授業の教材に使うことを認める閣議決定をした。近い将来、「道徳」の授業などで使われる可能性もある。
 大平教授は「教育の基本は個人の幸福の基をつくること。教育勅語の目的は天皇制強化などにあり、全体主義の支えだったことを忘れてはならない」と指摘する。

<教育勅語>大日本帝国憲法の元首だった天皇が臣民に示した教育の基本理念。1890年発布。忠・孝などの道徳を基礎に、有事には身をささげて国家に尽くすことを求める内容が含まれた。衆参両院が1948年に失効を決議した。


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2017年08月06日日曜日


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