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<災を忘れず>空襲の悲劇伝える殿堂

焼夷弾や薬きょうなどの現物や防空壕の模型(右奥)がある資料展示室。空襲の夜の悲劇を想起させる

 地震や風水害などの天災、戦争や市街地の火事といった人災。生死を左右しかねない惨事の発生は人々に大きな衝撃を与えるが、その爪痕や傷痕が歳月の中で癒えるにつれ、風化は進む。「大切な記憶を継承する」。熱い願いが込められた東北各地の施設や地域を紹介する。

◎東北の施設・地域巡り(1)仙台市戦災復興記念館(仙台市青葉区)

 闇夜に炎が不気味に広がる仙台の様子。資料展示室の順路を進むと、そんな写真パネルが頭上に現れる。仙台空襲の展示ゾーンは、ほの暗さの中に赤色が浮かび、暗い時代を伝える。
 太平洋戦争末期の1945年7月10日午前0時すぎ。米爆撃機B29による仙台市中心部の空襲で、約1400人が命を落とし、約500ヘクタールが焼け野原になった。仙台空襲と復興の歩みを後世に伝えるため、地元住民の記念碑建立の要望を受け、市戦災復興記念館は1981年に開館した。
 資料展示室には当時の焼夷(しょうい)弾や薬きょう、防毒マスクなど約600点が並ぶ。「展示の目玉は、全部です」と鈴木正英館長。「衝撃を受ける子、懐かしがる年配者。年代で感じ方は違う」と言う。
 防空頭巾姿の親子の人形を配した防空壕(ごう)の模型。大きなサイレン脇のヘッドホンを耳に当てれば空襲警報や爆発音が聞ける。小さな仏像に手をかざすと、体験者の壮絶な証言が流れる。
 焼け跡のがれきを片付ける人々の写真パネルには、宮城県庁や仙台駅付近などと説明が付く。ビルが並ぶ現在とは大違いだ。
 来館者は外国人を含め年間1万人。最近は北海道新幹線の開業効果か、函館からの修学旅行の小学生が目立つという。
 同館を拠点に、語り部として市民団体「仙台の戦災・復興と平和を語り継ぐ会」(仙台市)が活動する。会員で青葉区の小野寺哲さん(91)はシベリア抑留体験者。「戦争に参加した責任を感じ、週2回ほど通う。あんな時代を繰り返してはならない」と力を込める。
 館内にはホールや大小の会議室もある。7月10日前後の戦災復興展の開催をはじめ、市民の文化・交流の拠点として幅広く利用され、東日本大震災復興支援イベントにも使われてきた。
 焦土から復興したエリアに立つ、平和の殿堂。鈴木館長は「戦争の悲惨さと平和の大切さを伝え続ける施設でありたい」と話す。

<メモ>鉄筋コンクリート6階、地下1階。休館日は年末年始と施設点検日。JR仙台駅から徒歩約20分。仙台市バスは「東北公済病院・戦災復興記念館前」下車で徒歩5分。市地下鉄の最寄り駅は南北線が「広瀬通」、東西線が「大町西公園」。資料展示室は午前9時〜午後5時(入室は午後4時半まで)で、小中学生60円、高校生以上120円。20人以上の団体は割安になる。連絡先は022(263)6931。


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2017年08月17日木曜日


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