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<復興を生きる>漁村 12年の営み記録

最新作の上映会後、作品に込めた思いを語る我妻さん(左)=7月15日、仙台市若林区

◎3・11大震災/「被災地撮り続ける」 映画監督 我妻和樹さん=白石市

 通い続けた小さな漁村は突然、「被災地」として全国に名が知れ渡った。
 宮城県南三陸町戸倉の波伝谷(はでんや)地区。約80戸あった集落は、東日本大震災の津波でほとんどが流された。
 白石市の映画監督我妻和樹さん(32)は、波伝谷の震災前後の12年間を3本のドキュメンタリー映画にまとめた。宮城県内の被災地をはじめ、首都圏などで上映活動を続ける。
 「コミュニティーが分断された被災地にかつてどんな人の営みがあったのか、丁寧に記憶にとどめたい。その暮らしを描くことで震災によって何が失われたのかがはっきり見えてくる」

 波伝谷との出合いは2005年3月。東北学院大の研究室の民俗調査で訪ねたのがきっかけだ。300年以上続く伝統行事「春祈祷(きとう)」や、海辺に生きる人たちに魅了された。
 「色鮮やかな衣装をまとう若者たちは勇ましく、非日常で幻想的な世界があった。海で生きていく覚悟を決めていた。自分は漠然と大学に通っていたのに」
 波伝谷で感じた魅力を映画にしたい。卒業後もアルバイトの傍ら、自宅のある白石市から車で3時間半かけて通った。
 震災当日、波伝谷に向かう途中で津波に遭った。約1キロ手前で車を降り、高台を駆け上がった。隣の集落で避難した人と一緒に難を逃れた家で一夜を明かした。
 車と機材を失い、波伝谷に行くべきか、ためらった。「映画で生きていくと強い覚悟を持って撮っていたわけではない。どんな顔をして会えばいいのか。逃げ出したかった」。悩んだ末、「いるべき場所はここじゃない」と思い立ち、波伝谷でカメラを回した。

 撮りためた映像は16年までの12年間で計550時間を超える。住民の懐に飛び込んで一緒に泣いたり、笑ったり。もがきながら日々の営みを記録し続けた。
 最新作「願いと揺らぎ」は震災翌年、春祈祷の再開へ動きだした住民の思いや復興の現状を描いた。いさかいや和解、喜怒哀楽をありのままに映し出す。
 「人と人とのつながりは時に面倒だけれど、それが生きがいにもなる。時間をかけてようやく地元の人と分かり合える瞬間がある。大切なのは記録し続けること」。地域に寄り添うとは何か、改めて実感した。
 10月に山形市で開催される「山形国際ドキュメンタリー映画祭」のインターナショナル・コンペティション部門で入選。国内外の映画関係者に作品を披露する機会を得た。
 「消えていく暮らし、変わっていく文化は各地にある。そのただ中で悩みながらも土地に根差し、地域で生きる農山漁村の普遍的な姿を描きたい」
 被災地から伝えたいことはまだまだある。映像作家として生きていく。もう揺らぎはない。(白石支局・村上俊)

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 我妻さんの作品3本の上映会が19日、仙台市青葉区のせんだいメディアテークで開かれる。午前10時半〜午後7時半。有料。連絡先は我妻さん070(2037)1552。


2017年08月18日金曜日


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