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<丸森再耕>避難やめて住民と共生

地域の会合で住民と親睦を深める光さん(中央)と由美子さん。夫妻はすっかり地域になじんだ=丸森町耕野

 福島県と境を接する丸森町は、東京電力福島第1原発事故に伴い、県内で最も深刻な放射能被害を受けた。原発事故前は移住者が多く、地方創生を先取りする動きが活発だったが、進行していた人口減と過疎に原発事故が追い打ちを掛けた。事故を乗り越えようと、再生を模索する丸森の歩みを追う。(角田支局・会田正宣)

◎原発事故を超えて/移住(中)地域に根付く

 朝から蒸し暑くなった7月上旬の一日、丸森町耕野の住民組織「耕野振興会」が建てたあずまや周辺で、振興会産業観光部会の8人が草刈りをした。メンバーの一人、クリスマスローズ栽培農家の義高光さん(50)も大粒の汗を流した。

<「待った」かける>
 技師として東京の半導体関連会社などに勤務。脱サラして2009年に耕野地区に移住、新規就農した。
 町の移住推進事業で農園に研修生を受け入れたり、学校にクリスマスローズを植栽したり。地域に溶け込むが、道のりは平たんではなかった。
 東京電力福島第1原発事故が起きたのは、移住から2年後のこと。放射性物質に関する知識はある。屋内にこもってテレビに見入り、いつでも避難できるよう荷物をまとめた。
 「待った」をかけたのが、看護師の妻由美子さん(50)だった。
 丸森町への移住に伴い福島県国見町の病院に転職。福島第1原発3号機が水素爆発した3月14日は、沿岸部から避難してきた患者の対応に追われた。ガソリンが不足すると、病院の長椅子に寝泊まりして働いた。
 「逃げるしかない」という光さんに、由美子さんは「逃げたら、二度と戻れない。その覚悟があるなら出ましょう」と迫った。
 「地元の人には逃げ場がない。ほとぼりが冷めてから帰ろうとしても、大変な時に逃げた人間を受け入れてくれるほど甘くないんじゃない」。田舎暮らしを望んでいたわけではない由美子さんの言葉に、光さんははっとした。

<決意が「本物」に>
 生半可な気持ちではどこに行っても同じ。光さんらは耕野にとどまった。
 翌12年春、農園のクリスマスローズ直売会に客がどっと押し寄せた。皆、花に癒やしを求めていた。
 ビジネスが成り立ち、地域にも貢献できる。光が差したようだった。「人生の転機だった。価値観が変わった」。幸福の尺度に地域との共生が加わった。
 耕野に根を下ろす決意が「本物」になった。中山間地の活性化を目指してアイデアを出し、地域の魅力を積極的に発信する。
 地元農家の谷津利明さん(66)は「行動力がある」と光さんを評価する。
 耕野には外国人ら多様な移住者がいたが、原発事故後に20人余が避難し、今も戻らない。谷津さんは「見送る住民もさびしい思いをした」と振り返る。
 耕野の人口はこの20年で4割近く減った。原発事故以前から、養蚕や林業の衰退で若者の流出が続く。
 「過疎に原発事故が拍車を掛けた。地域を支える担い手として移住者の存在はとても心強い」と谷津さん。
 地域に根付く移住者への期待は、過疎地でいっそう強い。


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2017年08月18日金曜日


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