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<丸森再耕>自然農法の理想 揺らぐ

トマトの成長を確かめる北村夫妻。原発事故で自然農法の営みが打撃を受けた=丸森町小斎

 福島県と境を接する丸森町は、東京電力福島第1原発事故に伴い、県内で最も深刻な放射能被害を受けた。原発事故前は移住者が多く、地方創生を先取りする動きが活発だったが、進行していた人口減と過疎に原発事故が追い打ちを掛けた。事故を乗り越えようと、再生を模索する丸森の歩みを追う。(角田支局・会田正宣)

◎原発事故を超えて/移住(上)先駆者の苦悩

 合掌造りの古民家は、がらんとしていた。丸森町小斎の農業体験館「里の家」。2004年に開館した町内初の農家民泊施設だ。山菜採りなどのワークショップを開き、学生の合宿を受け入れていたが、原発事故で休業に追い込まれた。
 「原発事故のときから時が止まったままです」。経営者の北村保さん(60)は寂しげな表情を浮かべた。妻みどりさん(60)が手掛ける野菜の宅配出荷量は、原発事故前の4分の1に減った。東京など大都市圏の客の多くが、離れた。
 夫妻は町の移住者の草分け的存在だ。1992年、小学3年の長男を連れ、保さんが勤務先の横浜市役所を辞めて小斎にIターン就農した。当時珍しかった無農薬や、土を耕さない「不耕起自然農法」に取り組んだ。

<「安全な食物を」>
 今のように移住が注目されていなかった時代。行政の体系的な政策はなく、個人のつてを頼る例が多かった。保さんは新規就農者のネットワークを結成し、移住希望者向けツアーを開いた。農や田舎暮らしに憧れた移住者は原発事故前、30世帯を超えた。
 夫妻の移住のきっかけの一つが、チェルノブイリ原発事故だった。みどりさんは「息子に安全な食物を食べさせたくて自然農法に行き着いた」と言う。
 福島の原発と東北電力女川原発。双方から一定程度離れた場所として丸森を選んだが、「福島の事故の影響を受けるとは想像もしなかった」。
 原発事故に翻弄(ほんろう)された保さんは2011年11月、農家仲間と、農産物の放射線量を測る「みんなの放射線測定室てとてと」を大河原町に開設。保さんは「放射能をきちんと測り続ける大切さを伝えたい」と話す。

<5年で9.79%減少>
 丸森町によると、原発事故後の1年間に町外へ避難したのは65人。子育て世代の移住者が多かった。
 15年国勢調査で、町の5年間の人口減少率は9.79%と、東日本大震災の津波を受けた沿岸部などに続く県内6位だった。16年度末の高齢化率は38.3%で、七ケ宿町に次ぐ2位。人口減に少しでも歯止めをかけるべく、町は3年ほど前から移住に力を入れる。
 丸森に来て26年目の保さんは「住民の皆さんが親切で、長年お世話になった。恩を返したい」と思う。町の移住事業を応援したい気持ちもある。「ただ、リスクも伝える必要はある」
 町の未来を考えれば、若い世代の移住が望ましいが、土壌の放射線量は原発事故前の水準に戻らない中、子どもを連れてきても大丈夫だろうか。一方で、住民はここで暮らし、子育てしていくしかない。
 「頭をよぎるのは『原発事故さえなかったら』との思いばかり」。移住の先駆者の苦悩は、町が受けた傷を物語る。

<丸森町の原発事故被害>丸森町の1時間当たりの空間放射線量は2011年5月12日の測定値で、川平交流センター1.33マイクロシーベルト、耕野小1.04マイクロシーベルト、町役場前0.23マイクロシーベルトなど。同日の福島県内は福島市1.49マイクロシーベルト、南相馬市0.48マイクロシーベルト、いわき市0.25マイクロシーベルトなどだった。除染で出た土壌など約5万立方メートルは仮置き場25カ所に保管されたまま。民間が保管している国基準(1キログラム当たり8000ベクレル)超の焼却灰は昨年12月で約73トン。


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2017年08月17日木曜日


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