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<あなたに伝えたい>夢の中 出てきたら離さない

災害公営住宅の自宅居間でカラオケの練習をする勝子さん

◎高橋勝子さん(宮城県南三陸町)から達夫さん、洋一さんへ

 勝子さん お父さん、あれからどこかの老人ホームで1人で暮らしているのでしょうか。そう考えないと気持ちが落ち着きません。釣りが好きで、岸壁でアイナメを釣ってきては刺し身を作ってくれましたね。海が好きで「俺が死んだら骨を海にまいてくれ」と言っていたのに、その骨さえ見つかっていません。
 洋一、あなたは小さい頃から気持ちの優しい子でした。体調が悪かったお父さんをいつも気遣っていました。あなたが働いていた東京の自動車工場を見に行ったことがありました。大きい建物でした。
 夢に出てきてほしいのですが、一度も出てきません。もし出てきたら、ずっとここにいて、と洋一にしがみついて離しませんよ。
 震災の日、私は南三陸町の高野会館であった芸能発表会に出ていて家にはいませんでした。津波が来た時、お父さんは散歩中だったのですか。洋一はお父さんを捜しに行ったのですか。私は家を出る際、2人に「最近地震が多いから気を付けて」と言ったのが最後の会話になりました。
 登米市南方町の仮設住宅から昨年7月に南三陸町志津川の災害公営住宅に移りました。高齢者クラブの仲間と月に1度、集会所で「ちょい飲み会」を開いています。そこでカラオケを歌うのが楽しみ。神野美伽さんの「男船」や天童よしみさんの「一声一代」を歌うのが大好きです。
 1人暮らしの私が毎日何とか暮らせるように天国から見守っていてください。

◎海が好きだった夫と優しかった息子

 高橋達夫さん=当時(75)=、洋一さん=同(41)= 宮城県南三陸町志津川新井田で、達夫さんの妻で洋一さんの母勝子さん(73)と3人暮らし。漁業、建設作業員などをしていた達夫さんは病気で療養生活を送っていた。県外で働く洋一さんは休暇で自宅にいた。東日本大震災の発生時、達夫さんと洋一さんは自宅付近にいたとみられる。洋一さんは震災から4日後ごろ、遺体で見つかった。達夫さんは今も行方不明。


2017年08月20日日曜日


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