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最後の海軍大将・井上成美の戦後(下)終焉の地 再び響く音色

井上ゆかりのオルガン(中央奥)で合唱する元塾生たち=7月16日、横須賀市長井の熊野神社

 「最後の海軍大将」と呼ばれた仙台市出身の井上成美は戦後、三浦半島にある半農半漁の集落に閉じこもった。戦争責任を取り、世捨て人のごとく暮らす一方で、子どもたちには得意の英語や音楽を惜しみなく教えた。地元ではいま、井上の遺物を資産として見直す動きがある。戦後72年の夏。終焉(しゅうえん)の地、神奈川県横須賀市の長井地区を訪ね、井上の足跡を探した。(東京支社・瀬川元章)

◎横須賀・長井を訪ねて/オルガン

<当時の記憶が>
 祭りでにぎわう境内をセピア色に包み込むような懐かしい音色が響いた。
 神奈川県横須賀市長井の熊野神社で7月16日にあった夏の例大祭。特設ステージに年代物のオルガンが登場した。
 「最後の海軍大将」と呼ばれ、戦後は長井の自宅で「英語塾」を開いた井上成美(しげよし)(仙台市出身)ゆかりの品だ。ヤマハ製の足踏み式。同社の資料が空襲で焼けたため、製造時期など詳細は不明という。
 オルガン前に英語塾に通った女性たちが並び、井上に教わった「オールド・ブラック・ジョー」と「浜辺の歌」を歌い上げた。
 末広良子さん(79)は「みんなバラバラで、ちょっと恥ずかしかった」と苦笑い。「でも、先生の上手な発音の仕方とか、当時の記憶がよみがえった」と声を弾ませた。

<処分を免れる>
 長井保育園の園長を務めた末広さんによると、オルガンは昭和30年代、井上の後妻が「使ってほしい」と保育園に寄贈した。当初は使われていたが、物置に長く眠っていたのが幸いし保存状態は比較的良い。
 オルガンが再び注目されたのは3年前。保育園から処分したいという相談を受けた末広さんは、手を尽くして近くの町内会館に移した。地元で井上のことを知る人が減ったこともあって、2015年にお披露目イベントが企画された。
 「オルガンは長井の宝物」。主催した「井上大将のオルガンを復活させる会」事務局の矢沢登喜子さん(73)は訴える。「港の景色の中で音楽祭を開くなど、今後の在り方を地域で話し合い、もう一歩進めたい」と見据える。
 海上自衛隊東京音楽隊長の樋口好雄さん(54)は、16年まで横須賀音楽隊長を務めた縁でオルガンの存在を知った。東京音楽隊が今年10月に出演するコンサートでは、オルガンを借りて演奏する。元塾生を招待し、インタビューを通して在りし日の井上を改めて紹介したい考えだ。

<保管どうする>
 オルガンは音楽隊など自衛隊の関わりがある場所での保管を求める声もあるが、樋口さんは「終焉(しゅうえん)の地がふさわしい」と語る。
 横須賀市内には田戸台分庁舎や三笠公園など旧海軍の関連施設が点在する。16年5月に全焼したが、井上が将校の時から通い、戦後は従業員に英語を教えた料亭「小松」も有名だ。
 「多くの部下を亡くし人生を見詰め直した場所で、何かの折にオルガンを聴くことを故人は喜ぶのでは」。樋口さんは井上の心情に思いをはせた。

<メモ> 横須賀市長井の井上成美の自宅は支援者が引き継ぎ、10年ほど前に改築されて昔の面影はほとんどない。記念館として公開された時期もあったが、東日本大震災の影響で閉鎖された。井上の墓は東京都の多磨霊園に、位牌(いはい)は長井の勧明寺にある。


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2017年08月28日月曜日


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