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<お天王さん再び>集落跡に生きた証し

集落跡を進む花嫁行列。藤波さんの長女で禰宜(ねぎ)の梓(あずさ)さんが先導した
再建された神社と宮司の藤波さん

 東日本大震災の大津波で流失した宮城県山元町笠野地区の八重垣神社社殿が今夏、よみがえった。神社周辺は災害危険区域に指定され、住居建築が制限されている。昔から「お天王さん」と呼ばれ親しまれてきた地域のシンボルの再建は、かつての住民らに希望をもたらしている。(亘理支局・安達孝太郎)

◎みやぎ路/山元・笠野 八重垣神社(上)社殿再建

 でこぼこ道を、花嫁行列が進む。「風があるね」。新郎が新婦に話し掛けた。行列を見守る住民はいない。それでも、地元で「いなさ」と呼ばれる海風だけは昔のまま吹いていた。
 今月5日、津波で被災した笠野地区の集落跡。紋付きはかまの寺嶋司さん(37)と白無垢(むく)の明子さん(38)、そして親族たちは、流された寺嶋さんの自宅跡から神社までの200メートルを静かに歩いた。神社は7月末に再建されたばかり。親族の顔から自然に笑みがこぼれる。
 震災前、250世帯が住んでいた同地区は裕福なイチゴ農家が多かった。屋敷林に囲まれ重厚な門構えの家々は津波に流され、住民40人余りが犠牲になった。司さんも大切な友人を亡くした。いつも一緒に遊んでいた小、中学校の同級生は、妻と小さな子を残して逝った。
 「穏やかな性格で誰にでも優しかった。なぜ彼が、という思いが消えない」
 寺嶋さんは家族とともに町の内陸に移転し、家業のイチゴ栽培を継いだ。「うまく言えないけれど、笠野で何かをつなげたい。そんな思いがある中で神社がよみがえってくれた。式を挙げるならここでと思った」
 神社創建は807(大同2)年と伝わる。八重垣神社にあった棟札に、同年に「徳逸」という僧がこの地を訪れた記録が残されている。
 当時、山元から南相馬市にかけての一帯は全国有数の鉄の生産地。町の郷土史家菊地文武さん(76)は「笠野は多賀城方面へ鉄を供給する拠点だった」と指摘する。宗教施設が地域で重要な役割を果たしていたことが想像できる。
 八重垣神社の系譜は別の棟札によって、600年前の室町時代から明確にたどることができる。現在の宮司藤波祥子さん(61)の21代前の先祖が京から訪れたのは15世紀初頭。都の役人だったこの先祖が神仏習合の牛頭天王(ごずてんのう)をまつり、神社を牛頭天王社と称した。「お天王さん」の始まりである。
 神社再建に当たって、藤波さんは震災の年の夏ごろまで「大きな被害があったこの地でいいのだろうか」と迷った。当時、周辺にはがれきの山が残り、集落の内陸移転が検討されていた。そんな時、氏子からこんな声を聞いた。「何も残らなければ、根っこが無くなる。代々生きてきた証しを残してほしい」
 あれから6年。藤波さんは総代らとともに、再建費用の工面に奔走し、神社再興を果たした。「あの時聞いた氏子の言葉に導かれてきた」。藤波さんは、ヒバが香る社殿を前に、そんな思いを新たにしている。

<八重垣神社>藤波宮司の21代前の先祖藤波尭雄が牛頭天王をまつり、江戸時代まで牛頭天王社と呼ばれた。牛頭天王は仏教の信仰対象となる一方、日本神話に登場する素戔嗚尊(すさのおのみこと)の化身とも言われる。明治初頭、神仏分離を進めた国の方針により名称が八重垣神社となる。社殿など神社再建費用は総額2億円余りで、全国からの支援金や氏子の浄財で賄われた。


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2017年08月27日日曜日


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