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<伊達騒動>敬称の差、屋敷削除…城下絵図から権力闘争読み解く

仙台城下絵図から「伊達騒動」の一端に触れる参加者

 仙台藩最大の権力闘争「伊達騒動」を当時の仙台城下絵図から読み解こうと、絵図を復刻した出版社「風の時編集部」(仙台市)によるトークイベントが3日、仙台市内であった。

 青葉区の市地下鉄東西線国際センター駅「青葉の風テラス」を会場に約60人が参加。市博物館の菅原美咲学芸員が、1664年と69年の絵図をスクリーンに映しながら講演した。
 騒動は12年間に及び、政争の渦中、幼少の亀千代(後の4代藩主綱村)の後見として実権を握った伊達兵部と、反対派との間で刃傷沙汰も起きた。
 反対派重鎮の伊達安芸(涌谷領主)と、2代藩主の5男、伊達式部(登米領主)との領土争いで、石高で上回る安芸に3分の1、式部に3分の2を分割する幕府裁定が下されたことも刃傷沙汰の引き金になった。
 菅原さんは69年の絵図で家臣の城下屋敷を紹介しながら、「安芸の敬称『殿』に対し、式部には格が上の『様』が使われている。式部は藩主の血を引くため、幕府の裁定でも取り分が多くなったのではないか」と推察した。
 71年(寛文11年)3月、大老・酒井忠清の屋敷で安芸を斬殺し、自らも斬り殺され、お家断絶となった重臣原田甲斐の城下屋敷が、78〜81年の城下絵図から消えていることも紹介した。
 菅原さんは「城下絵図からは街の移り変わりや、政治的な変化も知ることができる」と魅力を伝えた。
 参加した泉区の会社員浦沢真人さん(43)は「話を聞いて街角の旧跡にも興味が湧いてきた。古地図を手に街歩きを楽しんでみたい」と話した。


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2017年09月04日月曜日


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