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<震災6年半/風化>初動対応 被災3自治体検証の現場/東松島市「できない」

通信が途絶し、被害状況把握のため混乱した災害対策本部=2011年3月12日午後7時33分、東松島市役所(市提供)

 東日本大震災、東京電力福島第1原発事故で被害を受けた市町村が初動対応を自ら検証する作業は、記憶が薄れる時間との闘いの中、手探りが続く。検証は「限りなく」「できない」「後に託す」−。それぞれの現場を訪ねた。

◎議事録なく 漂う限界

 「災害対策本部の公式議事録が残っていない。震災から6年半が経過し、たどるのも難しくなっている」
 東松島市防災課の佐々木寿晴課長は頭を抱える。
 同市では震災で約1100人が死亡、5513棟が全壊した。震災直後から通信は途絶し、災害対策本部と避難所との連絡さえままならなかった。職員が泥道とがれきの中を徒歩で行き来して情報収集するしかない。本部は混乱を極め、初動対応の検証はできない状況だという。
 記憶の風化にも懸念が募る。震災発生当時を知る職員は毎年定年退職で減り続け、災害対策本部長だった当時の阿部秀保市長も今年4月に退任した。本年度、同市の職員約300人のうち震災後に入庁した職員は約100人に上る。復興創生期間が終了する2020年度には、震災当初の状況を知らない職員が全体の3分の2を占める見込みだ。
 全国からの応援職員も減少する中、佐々木課長は「復興事業以外に人手は割けない。国や県が統一した検証項目を作ってくれない限り、単独自治体としての検証は無理だ」と言う。
 記録はなくても、生かした教訓はある。震災時、市内の小、中学校から2台のトランシーバーを借り、宮城県や自衛隊などとの連絡体制を辛うじて保った。
 佐々木課長は「市内の全自主防災組織にはトランシーバーを配備するなど対策を進めている。部分的検証や対策はできるが、全体の検証にはつながっていない」と現状を憂う。


2017年09月10日日曜日


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