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<連載・談 かたる>稲垣潤一さん(1)ドラムに魅了され 運命のハコバン演奏

デビュー35周年を迎えた稲垣さん(c)大塚浩史=東京都内のスタジオ
4歳の時の稲垣さん=1958年4月、仙台市宮城野区の榴岡公園

 「ドラマティック・レイン」や「クリスマスキャロルの頃には」を筆頭に、数々のヒット曲を持つ仙台市出身のミュージシャン稲垣潤一さん。ドラムをたたきながら歌うスタイルと独特の透明感があるハイトーンボイスで、多くのファンを獲得している。28歳でメジャーデビューし、35周年を迎えた今日まで第一線で歌い続けている。これまでの道のりを振り返るとともに展望も語ってもらった。

――仙台市で1男1女の弟として生まれた

<ビートルズに衝撃>
 父親の次男は東京都、母親の美枝子は神戸市出身です。2人は結婚して母親の疎開先だった仙台に移り住み、宮城野区榴岡で洋品店を立ち上げました。
 幼いころの僕はやんちゃで、榴岡公園などで遊び回っていました。小学校の時は授業中も静かにはしていられない子で、よく先生からチョークが飛んできました。両親は共に洋楽好きでよく聴いていました。
 僕の音楽との出合いは小学5年の時です。父親のカーラジオから流れてきたビートルズが歌う「ロック・アンド・ロール・ミュージック」を聴き、心の奥をいきなりノックされたような衝撃を感じました。とんでもなく格好良く感じました。

<中学に入ってドラムに興味を持つ>
 ドラムという楽器の見栄えの良さに引かれました。当時はドラムをたたきたくてうずうずしていて、工作用角材や風呂おけ、ごみ箱などをドラムに見立て、菜箸でたたいていました。好きな洋楽のレコードを何度も聴き直し、音を耳で覚え、試行錯誤を重ねて演奏をコピーしていました。
 中学3年の時に一目ぼれした真っ赤なドラムセットを父親に買ってもらいました。同級生とバンドを結成し、卒業の時に図書室でライブをしました。当時の校長はロックの演奏に反対でしたが、担任の先生が粘り強く働き掛け、実現しました。当日、僕はリヤカーでドラムを学校まで運び、ビートルズやローリング・ストーンズの曲を演奏したのですが、気持ちが良くて、しびれました。
 高校は宮城工高に進学し、バンド活動に明け暮れました。勉強はそっちのけでしたね。高校の枠を超えて、いろんなバンドを掛け持ちしていました。

――高校卒業後、就職したものの1日で辞める

<入社1日で即退社>
 商社の仙台支店に就職が決まったのですが、初出勤の前夜に、バンド仲間から仙台市内のダンスホールでギャラをもらって生演奏する「ハコバン」の誘いの電話がありました。それが僕の運命を左右したのです。「ハコバン」とは音楽業界の人が使っていた用語で、店を指すハコ(箱)で生演奏するバンドのことです。
 仕事を終えた僕は一目散にお店へ。「演奏してお金をもらえるんだ」と思ったら、会社へ行く気がなくなりました。そのことを父親に正座して伝えたら一言言われました。「大学へ行ったつもりで4年間は頑張れ」
 ハコバンの世界は海千山千の人がいましたが、好きな音楽を仕事にできて楽しかったです。そのうち、仲間の誘いもあって、東京で活躍しようと、72年秋に上京しました。(聞き手は生活文化部・沼倉淳)

[いながき・じゅんいち]1953年仙台市生まれ。82年1月に「雨のリグレット」でメジャーデビュー。83、86年に日本レコード大賞ベストアルバム賞、93年に日本ゴールドディスク大賞、2009年に日本レコード大賞企画賞などを受賞。著書に「闇を叩く」(小学館)「かだっぱり」(同)。東京都在住。


関連ページ: 宮城 文化・暮らし

2017年09月11日月曜日


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