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<連載・談 かたる>稲垣潤一さん(3)大物ら楽曲を提供 ヒット作に恵まれる

デビュー直後の稲垣さん。歌声と共にドラムをたたいて歌うスタイルも注目を集めた=1982年、東京都内のスタジオ

 ――デビュー後間もなく、テレビの人気音楽番組「夜のヒットスタジオ」に出演する機会に恵まれる

<番組でハプニング>
 当時、「夜のヒットスタジオ」は歌番組の代表格でした。僕が出演した時には、西城秀樹さんや松田聖子さんら大スターが並び、とても緊張しました。晴れ舞台でしたが、ハプニングが起きたんです。ドラムをたたきながら歌うため、ヘッドホンを付けたのですが、歌い始めた途端にずり落ちて、片手で押さえて歌わなければならない事態になったのです。
 冷や汗が出て、心臓が早鐘を打ちましたが、司会者の井上順さんが駆け寄って、ヘッドホンを直してくれ、なんとか歌い終えることができました。「売れる人間っていうのは、こういうふうに出だしでミソがつくものなんだよ」。事務所の社長が面白そうに笑っていたのが印象的でした。
 番組出演後に仙台に戻ったら、実家の洋品店の店先に「稲垣潤一 祝・夜のヒットスタジオ出演!」という手書きの貼り紙がありました。母親が書いたものでした。

<1982年10月にリリースした3枚目のシングル「ドラマティック・レイン」が大ヒットする>
 「ドラマティック・レイン」は、近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」などを手掛けたヒットメーカー筒美京平さんの作曲です。作詞は複数の作詞家にオファーして選びました。その時、「もっともメロディーにマッチする歌詞」として、高い評価を受けたのが、秋元康君のものでした。秋元君はまだ大学に籍がある放送作家でしたが、豊かな才能を感じました。
 「ドラマティック−」はCMソングとしても使われ、オリコン・チャートの8位に入り、稲垣潤一という存在を世に広める曲となりました。
 その後も秋元君には「1ダースの言い訳」(86年)や「1969の片想い」(89年)、「メリークリスマスが言えない」(90年)など数多くのヒット曲の作詞をしてもらいました。中でもデビュー10周年の時にリリースした「クリスマスキャロルの頃には」(92年)は、オリコン・チャートで1位となり、ミリオンセラーを記録しました。
 当時のプロデューサーの人脈もあって、大滝詠一さん(故人、奥州市出身)や松任谷由実さんら天才的な人に曲を提供してもらいました。歌い手として、本当に恵まれた歌手生活だと思っています。

 ――80、90年代はテレビドラマやコマーシャルとタイアップした曲が多く、時代を彩った

<商品引き立てる声>
 時流の先端と共に歩めたことを幸せに思っています。秋元君に「稲垣さんの歌声を聴くと、いろんな絵が見えてくる」と言われたことがあります。楽曲が良かったことはもちろんですが、僕の歌声は商品を食ってしまうほど主張しすぎず、ほどほどの説得力があって商品を引き立てるにはバランスの良い声だったのかもしれません。
 ヒット曲にも恵まれ、ある年にはアルバム3枚をリリースし、全国ツアーを2度も行い、周囲からはスター街道をまっしぐらに進んでいるように見えていたかもしれません。ただ、僕の心には暗雲が徐々に垂れ込めてきたのです。(聞き手は生活文化部・沼倉淳)

[いながき・じゅんいち]1953年仙台市生まれ。82年1月に「雨のリグレット」でメジャーデビュー。83、86年に日本レコード大賞ベストアルバム賞、93年に日本ゴールドディスク大賞、2009年に日本レコード大賞企画賞などを受賞。著書に「闇を叩く」(小学館)「かだっぱり」(同)。東京都在住。

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 「ドラマティック・レイン」や「クリスマスキャロルの頃には」を筆頭に、数々のヒット曲を持つ仙台市出身のミュージシャン稲垣潤一さん。ドラムをたたきながら歌うスタイルと独特の透明感があるハイトーンボイスで、多くのファンを獲得している。28歳でメジャーデビューし、35周年を迎えた今日まで第一線で歌い続けている。これまでの道のりを振り返るとともに展望も語ってもらった。


関連ページ: 宮城 文化・暮らし

2017年09月11日月曜日


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