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<連載・談 かたる>稲垣潤一さん(5)路上演奏や基金設立 被災者支援続ける

震災からの復興支援で行った路上ライブで歌う稲垣さん(右)=2011年5月、仙台市青葉区

 ――2011年3月の東日本大震災の発生時は東京都内にいた。古里の甚大な被害を知り、打ちのめされた

<一番町に多くの人>
 打ち合わせに向かう途中で新宿を車で走っていたのですが、揺れの激しさにただごとではないと感じました。ビルというビルから人があふれ出て、騒然としていました。
 カーラジオで東北の被災状況を知って、体中から力が一気に抜けてしまいました。テレビが伝える甚大な被害に言葉を失い、何もできないもどかしさも感じていました。両親は他界していましたが、仙台にいる叔父と叔母に連絡が取れたのは震災発生時から2週間後でした。
 仙台に戻ることができたのは、5月でした。幼い頃よく父親に連れて行ってもらった深沼海水浴場(仙台市若林区)周辺の松林が消滅した様子を目の当たりにした時は、津波のすさまじさと心のアルバムの大切な写真が奪われたかのような喪失感を感じました。
 その時には青葉区一番町で、復興支援の路上ライブを開催しました。僕自身も初めての路上ライブでした。
 「稲垣が来て歌えば、被災者の力になるはず」と仙台の友人から打診されたのです。告知はツイッターだけでしたが、多くの人が足を運んでくれ、胸が熱くなりました。
 震災で苦労している人の励みに少しでもなればと思い、ギター1本と僕のボーカルで「ドラマティック・レイン」や「夏のクラクション」などを心を込めて歌いました。

 ――11年3月29日に震災からの復興支援のため、「稲垣潤一東北サポート基金」を設立した

<現状を伝えていく>
 歌で被災した人にエールを送っていくことはもちろんですが、復興までの道のりはかなり長くなるだろうし、現実的に物心両面から支援できることはないかと考えていました。
 そんな時、全国のファンの方から「被災地を支援したいのだが、何をしたらよいのか分からない。稲垣さんに託したい」という声が複数寄せられ、自らが責任を持って管理、運営できる基金を設立しようと思いました。
 基金は昨年度末の時点で約1880万円が集まりました。主に被害の大きかった宮城県内の学校に対して、楽器や復興支援の演奏で使う和太鼓などを寄贈しています。寄贈先は、東北の友人や知人と綿密に連絡を取り合って決めています。
 津波による塩害に遭った土壌を逆手にとって、おいしい米を作っている石巻市の米工房大内産業のことを知り、僕のコンサート会場で「石巻塩害復勝米」と銘打って販売。売り上げの一部を寄付しています。
 <震災からの復興支援はずっと続けていく考えだ>
 全国をコンサートで回っていると、震災の被災地に対する認識の違いや復興支援の温度差を感じます。本当の復興までは、まだまだ時間がかかると思っているので、基金を軸にできるだけのことはしていきたいです。震災の記憶の風化ということも日々、切実に感じています。仙台市出身のミュージシャンという立場から、赴いた全国各地で被災地の現状を少しでも伝えていくことも役目だと思っています。(聞き手は生活文化部・沼倉淳)

[いながき・じゅんいち]1953年仙台市生まれ。82年1月に「雨のリグレット」でメジャーデビュー。83、86年に日本レコード大賞ベストアルバム賞、93年に日本ゴールドディスク大賞、2009年に日本レコード大賞企画賞などを受賞。著書に「闇を叩く」(小学館)「かだっぱり」(同)。東京都在住。

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 「ドラマティック・レイン」や「クリスマスキャロルの頃には」を筆頭に、数々のヒット曲を持つ仙台市出身のミュージシャン稲垣潤一さん。ドラムをたたきながら歌うスタイルと独特の透明感があるハイトーンボイスで、多くのファンを獲得している。28歳でメジャーデビューし、35周年を迎えた今日まで第一線で歌い続けている。これまでの道のりを振り返るとともに展望も語ってもらった。


関連ページ: 宮城 文化・暮らし

2017年09月11日月曜日


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