宮城のニュース

東北の八怪・帝大学者と知性(上)人間学の壇上/分野超え文芸の腕磨く

原龍三郎筆「ざくろ」。勝本正晃賛「秋風に腹から笑う(ざくろ)哉」(仙台文学館所蔵)

 昭和初期の東北帝大に「東北の八怪」と称された文人学者の一群がいた。専門分野にとらわれず、文芸の腕を磨く。そこには古今東西の知識への飽くなき探究心があった。大学人が担う知性の在り方を、東北帝大の先人の足跡をたどりながら再考する。(報道部・菊間深哉)

<独特の雰囲気>
 夜ごと自宅や料亭で酒を酌み交わす。腹ばいになって絵画、書、俳句に筆を振るう。仲間の技量に悪態をつきながらも、俳句や漢詩で互いに金言を寄せ書きした。
 あふれんばかりの知性で異彩を放つ文人学者「東北の八怪」。法文学部教授だった勝本正晃(まさあきら)(法学)が自身を含めた仲間を、中国・清朝の商都に集った文人画家たち「揚州八怪」になぞらえ、後年こう呼んだ。
 その主な面々は、第7代総長の熊谷岱(たい)蔵(医学)、阿部次郎(哲学)、小宮豊隆(独文学)、原龍三郎(工学)、太田正雄(筆名・木下杢太郎、医学)、武内義雄(中国哲学)、児島喜久雄(美学)らだった。
 東北の八怪が催す楽しげな宴席の様子を、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが仙台に滞在した1934(昭和9)年、日記に書き残している。
 「宴飲半ばに席画が始まる。太田氏が絵筆を取ると、他の人たちも描かずにいられない気持ちになってくる−私までがそうだ」
 タウトが「自筆の絵を贈ることは仙台の美俗である」と特筆したように、彼らの交友は他の帝大にはない独特の雰囲気を醸し出した。京都帝大、東京帝大で教授を務めた哲学者の和辻哲郎も「(太田ら)この人たちの気分はいかにものどかで、東京や京都とひどく異なっていた」と記した。
 東北の八怪たちの弁。医学者の太田は「なぜ天は自分に色んなものに興味を持つ才能を与えたのか」。勝本はそんな太田を「科学と文芸をうのみにする強靱(きょうじん)な知識欲があった」。

<通達波紋呼ぶ>
 片や平成の国立大。国は新産業創出の先導役を求め、企業の投資先となる研究に大きな期待を寄せる。
 「投資を呼び込む大学経営に転換」(未来投資戦略2017)、「大学改革による科学技術の活性化」(科学技術イノベーション総合戦略17)…。
 こうした国の方針は、大学の多様な知性の在り方を変容させる危うさもはらむ。2015年には人文系学部廃止を求める文部科学省通達が出され、波紋を呼んだ。
 東北大大学院文学研究科の長谷川公一教授(社会学)は「実用第一主義の国の本音が漏れた。かつて東北帝大の文人らが共有した総合的な知性の価値をどう現代に意義付けるか、大学は社会に示していかないといけない」と痛感した。
 「科学者の研究の先には命の尊厳などの倫理的問題が見え隠れする。答えを考え抜くには、まずは多様な価値観を知らなくては」。東北大大学院理学研究科長の寺田真浩教授(有機化学)は指摘する。
 専門を超えた価値観がぶつかり合う「人間学の壇上」(勝本)に、東北帝大の文人たちは立っていた。

[主な参考文献]阿部次郎「合本三太郎の日記」 太田正雄「木下杢太郎日記 第2巻」 大平千枝子「父 阿部次郎」 勝本正晃「机辺散語」 篠田英雄訳「日本 タウトの日記 II」 原田夏子、原田隆吉「回想 東北帝国大学」 「近代作家追悼文集成 第30巻」 「『東北大学無名会懐古展』パンフレット」 「『近代の文人画』展図録」 「仙台市史 特別編3 美術工芸」


関連ページ: 宮城 社会

2017年09月13日水曜日


先頭に戻る