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大隈重信の書簡、津波被災した土蔵で発見 明治の衆院選克明に

書簡を持ち寄って意見を交わす本間さん(右)と佐藤さん=石巻市門脇町
写真に収まる大隈(後列左)と首藤(同右)ら(「首藤陸三 小史」より)

 東日本大震災で被災した石巻市門脇町で奇跡的に残った土蔵などから、明治期の衆院選に関する書簡が見つかった。日本初の政党内閣を組織し国政に影響力を持っていた大隈重信(1838〜1922年)が、宮城県内選出の衆院議員首藤陸三(1851〜1924年)を支援するよう地域の名士に依頼する内容。激動の時代の人模様が浮かび上がる。
 大隈は1882(明治15)年に立憲改進党を結成、東京専門学校(現早大)を創立した。首藤は登米(とよま)村(現登米市)出身。宮城県職員を経て同党に入党し、県議から93年に衆院議員に転じて5期務めた。同学校の創立にも資金面などで尽力し、大隈とは公私にわたり深いつながりがあったという。
 古文書の専門家らによると、書簡は縦約20センチ、横約80センチ、日付は1902(明治35)年6月30日。大隈が差出人で、石巻町(現石巻市)の元町長故武山一郎氏、元宮城県議故佐藤清作氏にそれぞれ宛てていた。
 「総選挙に於て、貴県之候補者として首藤陸三氏推薦せられ候由、是れ拙者ら深く同情を表する」「尚一層之御助勢を以て、当選相成候様希望」などの記述がある。大隈の自筆ではないが、大隈に近い人物が記したとみられる。
 書簡は門脇町にある旧家の土蔵、登米市津山町の郷土史家宅にそれぞれ保管されていた。
 1897年建築の土蔵は震災の津波で被災しながら守られ、江戸時代の書物などと共に書簡も無事だった。武山氏の子孫で、土蔵を継いだ本間英一さん(68)は「貴重な資料の一つが残っていて良かった。首藤という人物や当時の人間関係を知ることができ、興味が深まった」と話す。
 佐藤氏の子孫で郷土史家の佐藤清人さん(69)は「書簡を通じて本間さんとの交流も生まれた。お互いに連携し、眠っている歴史資料をさらに掘り起こしたい」と語る。


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2017年10月01日日曜日


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