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<ニュース深掘り>政治介入の歴史直視を

小学5年の修身の教科書に記されている教育勅語を背景に、1940年2月19日に塩釜第三尋常小であった建国記念の学芸会(左下)のコラージュ(ともに仙台市歴史民俗資料館提供)

 戦前の教育指針だった教育勅語をテーマに当時学んだ人々を取材し、8月に宮城県版で連載した。安倍内閣は3月、憲法や教育基本法に反しない形で授業の教材に使うことを認める閣議決定をした。道徳は2018年度から小学校の教科になる。戦前回帰のような風潮も漂う中、勅語の取り扱いについて危機意識を持って動向を注視する必要がある。

◎教育勅語「復権」の危惧

 「戦争との関連を除けば内容は良い」「今の若者は忍耐を知らない。勅語を教えてもよいのではないか」
 連載に登場する人々に多かったのは、勅語が説く忠・孝といった道徳への強い共感だ。「三つ子の魂百まで」の言葉通り、教育の効力を実感した。軍国主義を支える役割を担っただけに「もし、勅語が復権したら」と危惧を覚える。
 宮城県教委、仙台市教委とも「勅語の使用は考えていない」と話すが、教育現場の戸惑いと不安は大きい。
 道徳教育に熱心な宮城県内の小学校教師は「偏った考えが子どもにすっと入り込む危険性がある」と指摘。「いじめ対策は命の大切さを伝えることが重要なのに、勅語は命を投げ出すことを美化するような内容を含む。他に優先すべきことがある」と訴える。
 日本史の高校教師も「なぜ今になって勅語を持ち出すのか疑問だ。教育の自由などが絡め取られていくのではないか」と言う。外国語活動が増えるなど小学校の繁忙ぶりを挙げるベテラン教師は「もし勅語が教材になった場合、学問的根拠に基づいて教える余裕を教師が持てるか心もとない」と吐露する。
 戦争体験世代の高齢化に伴い、教育への政治介入に対する危機感が薄れる懸念もある。
 軍国少年だったという仙台市青葉区の元高校教師今野敏さん(85)が明かした中学時代の恩師のエピソードが心に残る。
 恩師は日本国憲法の施行を受け、「西洋は多大な犠牲を払って自由を確立した。気ままに振る舞うのが自由ではなく、責任を伴うものだ」と説いた。恩師は間もなく亡くなったが、懸命に自由の尊さを教える姿に今野さんは感銘し、教師を志したという。
 自由な校風の中で生徒が成長する姿を描いた故井上ひさしさんの小説「青葉繁れる」に通じる光景が目に浮かんだ。
 道徳観の養成は強制では成り立たない。学校、地域との連携が大切だが、勅語でなければ教えられないわけではない。勅語の目的はもともと主権在君の国体維持にあり、個々の徳目に着目しても「木を見て森を見ず」になってしまう。
 10日に公示される衆院選では憲法改正も争点になる見通しだ。勅語は大日本帝国憲法公布の翌年に発布され、教育と国家体制を密接に結び付けた。時代の違いはあるが、教育と政治の関わりについて歴史を見詰め直すべきだ。

[教育勅語]大日本帝国憲法の元首だった天皇が臣民に示した教育の基本理念。1890年発布。忠・孝などの道徳とともに、有事には身をささげて国家に尽くすことを求める内容が含まれた。衆参両院が1948年に失効を決議した。


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2017年10月02日月曜日


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