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<戊辰戦争>戦死の会津藩士「半年間野ざらし」定説覆る 「降伏直後埋葬」示す新史料

「戦死屍取仕末金銭入用帳」について解説する野口さん

 戊辰戦争(1868年)で戦死した会津藩士の遺体が会津藩降伏直後に埋葬されたことを示す史料が見つかったと、会津若松市史研究会副会長の野口信一さん(68)が2日、発表した。遺体は新政府軍が埋葬を禁じ、半年間野ざらしにされたと伝えられてきた。
 会津若松市民の長州藩(山口県)に対する感情的なしこりの一因になった埋葬禁止説が覆るとして、野口さんは「藩士がすぐに埋葬されたことが分かり、喜ばしい」と話している。
 史料は「戦死屍取仕末(せんしかばねとりしまつ)金銭入用帳」で、戦死者の埋葬や金銭支払いが記入されている。市から調査を受託する研究会が昨年12月に発見。地元在住の会津藩士子孫が1981年に若松城天守閣博物館に寄贈した史料に含まれていた。
 それによると、新政府は会津藩降伏の10日後の10月2日(旧暦)、埋葬を命令。翌3〜17日、会津藩士4人が中心になって567人を64カ所に埋葬した。経費は74両(約450万円)。延べ384人が動員され、1人当たり1日2朱(7500円)を支給していた。
 家紋の図など遺体発見当時の服装が詳細に記され、女性や子どもの遺体もあった。大砲隊を指揮した山本八重の父山本権八の遺体や、一族21人が自刃した家老西郷頼母邸で発見された遺骨、白虎隊士と思われる遺骨の記述もある。
 野口さんは「69年2月に阿弥陀寺へ改葬したことを半年も放置したと誤認したと思われる。埋葬禁止説は昭和30年代以前はなかった」と説明。「長州への怨念の障壁が取り除かれ、会津若松市民と山口県萩市との友好関係が築けたらうれしい」と期待する。
 野口さんは史料についてまとめた「会津戊辰戦死者埋葬の虚と実 戊辰受難者祭祀の歴史」(歴史春秋社)を11日に出版する。会津若松市資料センターはコピーを1枚20円で頒布する。


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2017年10月03日火曜日


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