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<私の復興・水産関係者衆院選に思う>福島の魚再び全国へ

水産工場の図面を見ながら事業構想を練る柴さん

 10日公示された衆院選(22日投開票)は震災と原発事故後、5回目の国政選挙となる。復興のステージで被災者はどう政治と向き合ってきたのか。特に被害の大きかった水産関係者の思いを追った。

◎(下)水産業 柴孝一さん(南相馬市)
 黒い目が輝いている。ひれに張りがある。鮮度が良い証拠だ。今夏、地元漁師からもらったメバルを煮付けにして食べてみた。やはり、うまい。「お客さんにも届けてあげたいなあ」。箸を進めながら再起への思いを強くした。
 南相馬市の柴孝一さん(79)は東日本大震災まで、隣接する福島県浪江町で水産業を営んでいた。町内での事業再開に向け、現在は設計・加工機械業者との打ち合わせに追われる。
 「地元の魚を全国の市場に届けるのが務め。俺らが戻れば漁師もやる気が出る。誰かが先陣を切らなきゃ浜は再生できない」

 町内の請戸漁港にあった加工場と冷蔵施設は津波で流失。近くの自宅は基礎しか残らなかった。さらに東京電力福島第1原発事故で町は一時全域が避難区域となり、首都圏での仮暮らしを強いられた。
 「もう一度、日本一の魚を扱うんだ」。逆境にくじけることはなかった。
 避難先の千葉市から福島に戻り、2013年に南相馬市内に事務所を建てた。敷地内に新居を構え、再開準備を本格化させた。民主党から自民党へ。政権が代わった翌年だった。
 請戸漁港に水揚げされた魚類は「常磐もの」として知られる。東京・築地市場での評価も高かった。早朝の競りでは、全国の魚が質の高い順に並ぶ。その列の先頭に自分の魚箱が置かれるのが誇らしかった。

 東京まで片道8時間。高速道路網もなかった50年近く前から、小さなトラックで活魚を運び続けた。原発事故は、漁師や水産業者が地道に築き上げたブランドを傷つけた。
 風評被害は根深い。今年5月に成立した改正福島復興再生特別措置法には対策が盛り込まれたが、市場で以前のような高値がつく保証はない。かといって、悲観はしていない。
 事業再開を決めると、「早く魚を送ってくれよ」と関西方面からも催促の電話が入った。柴さんは「ブランド価値は失われていない。品質の良さは必ず分かってもらえる」と断言する。
 新設工場には薬品工場並みの高機能空気清浄機を取り付けることにした。魚などの洗浄水は地下200メートル以上の深井戸からくみ上げる。商品の汚染リスクを極限まで軽減するためだ。
 工場着工は早くて19年。補助制度を使っても億単位の自己資金が要る。活魚の扱いには海水を引き込むパイプラインの敷設も欠かせない。「個人では到底無理」。公的支援に期待を寄せる。
 避難中を含め、国政、地方選挙とも棄権したことはない。今回の衆院選も投票所に出向く。
 「復興を託せる人を見定めたい」。浜のあしたと事業の再生。切実な願いを込めた1票は、これまで以上に重いものになる。(南相馬支局・斎藤秀之)


2017年10月13日金曜日


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