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<仙台いやすこ歩き>(67)キノコ/秋の香満載元気のもと

 ある秋の日、森に分け入った。…と書くと「みぃさんったら大げさ」と画伯の声が聞こえてきそう。いやすこが歩いたのは仙台市青葉区東照宮の、かつては広い森だったところにいまも残る、小さな森(雑木林)。この森を抜けたところのマンションに向かったのである。
 マンションでは今回の師匠、「仙台キノコ同好会」の宮下芳子さん(71)が待っていてくれた。宮下さんはご主人の転勤で関東と関西に住み、ようやく仙台に帰った2001年、同級生に誘われるままに入会したそう。キノコの魅力に引き込まれ、大好きな料理の腕を生かし、月刊誌でキノコ料理コーナーも担当するほどになった山ガール&キノコ女子なのだ。
 「帰ってきて住んだのは若林区荒浜で、海岸の松林にもキノコは出たんですよ。例えばショウロというトリュフの仲間とか」。えっ、海岸ですか? えっ、トリュフ?…と驚く2人に、キノコのいろいろを教えてくれた。
 キノコは、山に限らず海岸でも公園でも出合えるという。「この近くの公園ではアメリカウラベニイロガワリなどが採れるんですが、これが洋風料理によく合って」。植木鉢にも出るというからオドロキ! しかも、一年中楽しめるそうだ。
 「キノコって、植物だと思っているでしょ?」と宮下さん。もちろんとうなずく2人に、「植物でも動物でもない菌類なの」とにっこり。さらに大きく分けると腐生菌と菌根菌があって、腐生菌は枯れ木などを腐らせて地に返す役割の菌で、例えばシイタケやマイタケがそう。一方、菌根菌は木と共生して木を元気にさせる働きがあり、マツタケやチチタケがそれだという。
 「キノコパワーは人間にも抗がん、降血圧、美肌など、いい作用があるんです」。そう話す宮下さんは東日本大震災で、家も、撮りためていたキノコ料理写真も全て失ったが「キノコがあったので頑張ってこられた」と話す。
 被災直後、次号の料理コーナーの原稿依頼がきたそうだ。編集者も千葉市幕張の液状化現象で被災した人だった。実家に身を寄せていた宮下さんは、懐中電灯で広告チラシの裏に原稿を書いたという。キノコ女子、あっぱれ!
 そんな、元気のもとのキノコをいただくことになった。すでに作っていてくださった「エリンギのプロバンス風」「アンズタケのクリームスープ」、近くの公園で採った「ヤマドリタケモドキのラタトゥユ」に加え、その場で3品を調理。「アラゲキクラゲと卵の炒めもの」と「ハタケシメジとアサリのアヒージョ」、そしてこれがキノコかと驚く「ヤマブシタケのステーキ」。 
 テーブルの上はあっという間にキノコパーティー! エリンギはホタテのような食感で、初めて食べるヤマブシタケは酸味もあって美味。「こんなに味わいも食感もいろいろ楽しめるなんて」と、秋の香も胸いっぱいにキノコをめでる一日だった。
 キノコパーティーの数日後、青葉区の西公園でキノコを発見。写真を撮って確認したら毒キノコのテングタケ。「キノコ狩りは必ずエキスパートと一緒に」を肝に銘じた。

◎採集の文化平安時代から
 わが国でいつ頃からキノコが食べられていたのか明らかではないが、8世紀の万葉集に「たかまつの このみねもせに かさたてて さかりたる あきのかのよさ」という歌があり、マツタケのことであろうとされている。平安時代にはマツタケ狩りが行われていたと考えられている。平安時代の説話集・今昔物語には、ヒラタケ狩りやワライタケの中毒、ツキヨタケを憎い人に食べさせようとした話などがある。
 日本のキノコは、諸説あるが1万種ほどとされ、そのうち名前のついているのが約4000種といわれている。日本人が古来好んできたキノコはマツタケ、シメジ、シイタケ、エノキタケ、ヒラタケ、マイタケなど。マツタケは関東以北ではなじみが薄く、東北ではマイタケが尊ばれてきた。
 林野庁のホームページ「野生きのこの採取にあたっての留意点」では、採取の際の注意点、放射性物質検査の情報などが得られる。
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 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2017年10月16日月曜日


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